京都屈指の観光名所 音羽山 清水寺見どころご案内
京都の観光スポットと言えば、必ず名前があがる音羽山 清水寺。
清水寺は、観光スポット10選には必ず入る有名観光地です。
特に東山地区では一番人気の観光スポット、見どころとなっています。
また2017年の「日本の展望スポットランキング」では1位にも選ばれている展望スポットです。
この清水寺は、洛東と呼ばれる京都の東側に位置しており、JR京都駅から3kmほどのところに位置します。
JR京都駅や阪急電鉄河原町駅、京阪電鉄祇園四条駅といった主要駅からはバスが出ているほか、最寄りの京阪電鉄清水五条駅や七条駅からは徒歩でいける範囲にあります。
世界文化遺産や国宝にも指定されており、その舞台は一度は目にしておきたいものです。
清水寺とはどのようなお寺?
清水寺は、京都府京都市東山区清水にある寺院です。
山号は音羽山となっています。
本尊は千手観音菩薩が祀られています。
当初は法相宗で、平安時代中期より、真言宗と兼宗していました。
明治時代初期には、一度真言宗醍醐派に属していたのですが、明治18年に真言宗から法相宗に戻り、昭和40年に法相宗から北法相宗として独立し、現在は北法相宗の本山となっています。
また、西国三十三所観音霊場にもなっており、第16番札所となっています。
1200年以上の歴史がある清水寺は、現存する本殿も時代を刻んでおり、徳川家光が1933年に再建したものが現在まで残っているのです。
清水寺の歴史
清水寺の歴史は非常に古く、778年にまでさかのぼります。
宝亀9年(778年)、現在の奈良県にある興福寺の僧で、小島寺で修行していた賢心は、夢で「北に向かえ」とお告げを受けました。
お告げに従い、寺を出発し北に向かうと、賢心は清水寺のある音羽山の音羽の滝にたどりつきました。
そこには、行叡上人(ぎょうえいしょうにん)が待っていました。
行叡上人は、一本の零木を賢心に渡し、これで観音像を彫れと言い残し、その場をさりました。
賢心は、指示に従い、千手観音像を刻み、行叡が住んでいた滝の上の庵(いおり(僧侶が住む家))に祀りました。
これが清水寺のはじまりとされています。
その2年後、日本の歴史で初めて征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は、音羽の滝近くで賢心に出会います。
田村麻呂は、妊娠中の妻にシカ肉を食べさせるために、山に入っていたのでした。
賢心からは、霊地での殺生を戒められたうえ、観音の教えを説かれます。
そして、賢心の修行の決意に感銘を受けました。
その話しを帰宅して妻に話すと、妻は殺生の罪から救われるために、自分たちの家を解体して、観音様のために、お堂を建てることを田村麻呂に提案しました。
その提案に田村麻呂も賛同し、天皇の許しを得て、お堂を建設しました。
その後、810年には嵯峨天皇の勅許を得て、天皇の御願寺となりました。
こうして、行叡を元祖、賢心を開山、田村麻呂を本願と位置づけられたのです。
この元祖というのは、仏教の一宗の開祖のことで創始者や最初の人という意味を持ちます。
また、開山というのは、寺院を創始した人のことを言い、本願というのは、塔を作り寺を建てた人を表します。
つまり、行叡が清水寺の概念を創始し、賢心が観音様を祀り清水寺を起こし、田村麻呂が清水寺のお堂を建て、寺として形を作ったということを意味しているのです。
平安時代以降になると、1629年の寛永の焼失まで9回もの焼失にあいます。
清水寺は興福寺の支配下にあったため、興福寺と延暦寺の争いに巻き込まれており、その中で焼失したり、応仁の乱の際に、兵火によって焼失したりしており、その都度再建されてきました。
ですが、1633年に江戸幕府三代将軍徳川家光の寄進により再建されたのち、第二次世界大戦での空襲からも逃れ、現代までその当時の姿をのこしているのです。
近代になり、大正3年に、興福寺の住職であった大西良慶(おおにしりょうけい)が住職に就任します。
大西は、昭和40年には、法相宗から独立して北法相宗を開宗します。
昭和58年に107歳で亡くなるのですが、それまで約70年を清水寺貫主(かんじゅ)として務めました。
そのため、清水寺の『中興の祖』として位置づけられています。
清水寺の仏像
清水寺にある仏像には、歴史的な価値のある仏像があります。
まず本殿のご本尊である「十一面千手観世音弥勒立像」です。
こちらは、賢心が彫ったとされる仏像ではありません。
今の本尊は、1220年頃に焼失してしまった本尊を模して造立されたと考えられています。
それでも、約800年の歴史のある仏像となります。
作者は不明となっています。
ご本尊の両脇には、脇侍として、地蔵菩薩と毘沙門天の仏像が据えられています。
通常、この「十一面千手観世音弥勒立像」とその両脇の脇侍は非公開となっており、33年に一度扉が開かれるようになっています。
清水寺の住職や僧侶ですら、普段はご本尊を見ることができないようになっているのです。
そのため、清水寺では御前立が用意されています。
御前立とは、平常時は公開されない仏像、特に秘仏の厨子の前に身代わりとして安置される仏像をいいます。
清水寺でも、本殿を参拝すると、本尊の厨子の前には、千手観音菩薩を拝むことができます。
こちらも1633年に本殿の再建に合わせて作られた御前立と言われています。
御前立とはいえ、こちらも約400年近い由緒ある歴史を持っている仏像となります。
また、各建屋にも色々な仏像があり、随求堂(ずいぐいどう)で祀られている秘仏「大随求菩薩坐像」を2018年3月に222年ぶりに一般公開しました。
他にも、三重塔には大日如来像、経堂には釈迦三尊像、阿弥陀堂には阿弥陀如来像、子安塔には子安観音、奥の院には三面千手観音と脇侍として地蔵菩薩・毘沙門天・二十八部衆・風神・雷神・弘法大使像が祀られています。
またふれ愛観音や濡れ手観音といった仏像もあり、其々にご利益があるので、是非探してみてください。
他にも色々な仏像が清水寺にはありますので、是非時間の許す限り回ってみてください。
清水寺の建物
清水寺の境内には様々な建物があります。
1.仁王門
正面参道入り口となる西側に、仁王門はあります。
この建物は、応仁の乱の後に再建された室町時代後期の建築物です。
美しい朱塗りの建物で、「赤門」とも呼ばれています。
こちらは、平成の大改修より一足早く、2003年に解体修理が行われました。
そして、室町時代後期の再建当時の美しい赤い色が再現されました。
門の手前には狛犬が据えられていますが、こちらは左右とも口を開けた阿形で珍しく、第2次世界大戦末期の1944年に作られたものです。
重要文化財に指定されています。
2.西門
西門は、仁王門入ってすぐ右手側にある門です。
現在の建物は、徳川家光によって本殿が再建される前の1631年に再建されたものになります。
極楽浄土に往生する入口の門として、浄土を観想する日想観の聖所です。
こちらも重要文化財に指定されています。
3.鐘楼(しょうろう)
鐘楼は、応仁の乱の後に再建されたものになります。
総丹塗りの桃山様式の建築物です。
江戸初期に現在の位置に、移動再建されました。
6本柱で2.3トンもある重い鐘を支えてきました。
この鐘も重要文化財に指定されており、現在この鐘は宝蔵殿に保存され、清水寺門前会により寄進された新しい鐘が吊るされています。
この建物も、国の重要文化財に指定されています。
4.三重塔
清水寺の三重塔は、当初は平安時代初めの847年に桓武天皇の皇子が建立したものと伝えられており、徳川家光が行った改修によって、平安時代の様式で再建されたものが現存しています。
全体が朱色に塗られた瓦葺の塔で、高さは約31mあります。
三重塔では、国内最大級のもので、京都の街中からでも良く目にとまることから、いにしえより清水寺のシンボルとなっていました。
大日如来像が祀られており、その周囲には真言八祖像、天井や柱には密教仏画や飛天・龍などが描かれているのだとか。
この大日如来像ですが、通常は非公開となっています。
この三重塔も重要文化財指定となっています。
5.随求堂(ずいぐどう)
画像:清水寺
随求堂は、1718年に再建された建物で、他の建物より比較的新しい建物です。
清水寺の塔頭の一つである慈心院の本堂にあたる建物です。
慈心院は、明治時代に随求堂のみを残してなくなってしまいました。
この随求堂では、本尊に「大随求菩薩」をお祀りしています。
この「大随求菩薩」は密教の菩薩で、これは密教である真言宗の寺院として二宗を兼学していたことに由来しています。
こちらも秘仏として長年非公開となっていました。
ですが、2018年に222年ぶりに本殿で公開されました。
またここでは、縁結び・安全・子育ての神仏である「粟島明神」や絶対秘仏の「大聖歓喜天」も祀られています。
2000年より「胎内めぐり(※)」を経験することができるようになりました。
こちらは、拝観料とは別に100円の拝観料が必要になります。
また、16時で受付が終了されるので注意が必要です。
※随求堂の胎内めぐり
清水寺と言えば舞台は有名ですが、清水寺の塔頭である随求堂の胎内めぐりは知らないという方も多いのではないでしょうか。
この胎内めぐりは、随求堂本尊の大随求菩薩のお腹の中をイメージした真っ暗な空間の中を、大きな数珠を伝って進んでいきます。
一度中に入ると、一筋の光も入ってこない真っ暗闇の中を進んでいきます。
目が慣れたら見えると言うレベルではなく、本当に何も見えないのです。
そのため、入口から出口まで、ずっと左手で数珠を辿っていくのです。
進んでいくと、少し明るい場所にたどり着きます。
そこの中央部分に、大随求菩薩を意味する梵字が刻まれた石が置かれています。
この石が随求石と呼ばれる石で、その石を回して一つだけ願いごとをすると、その願いがかなうとされています。
このように、胎内めぐりでは、大随求菩薩のご利益を受けることができるのです。
暗闇を抜けて随求堂の外に出れば胎内めぐりは終了です。
ただ、本当に真っ暗な通路の中で行うので、ポケットやカバンの中から物を落さないように気を付けるようにしましょう。
拝観料は舞台とは別で100円となっており、午前9時から午後4時までとなっています。
また所要時間は約5分となっています。
6.経堂
経堂は、徳川家光によって再建された建物で、平成の大修理より早い2000年に解体修理が行われました。
平安時代中期には、全国から学問僧が集まる講堂として栄えました。
堂内には釈迦三尊像が祀られています。
また毎年2月15日には、ここで涅槃会が行われます。
経堂も重要文化財指定の建物となっています。
7.阿弥陀堂
こちらも徳川家光が再建したものが現存している建物になります。
2011年3月から2017年6月にかけて、半解体修理が行われ、
平成の大修理の終わった建物です。
破損部分が修理され、江戸時代以降に改造されていた部分を痕跡から元の姿に復元する工事を行っています。
また、屋根も桟瓦葺から檜皮葺に葺き替えられました。
この建物は、浄土宗の開祖である法然上人が日本で最初に常行念仏道場とした場所で、法然上人二十五霊場第十三番札所として、多くの参拝者が訪れるのでも有名です。
本尊は阿弥陀如来となっています。
重要文化財指定の建物です。
8.奥の院
奥の院は、「音羽の瀧」の上に立っている建物で、こっちらも本殿と合わせて1633年に再建されたものでした。
こちらは2017年までに修復作業が完了していますので、全貌を眺めることができます。
こちらも重要文化財に指定されています。
9.子安塔(こやすのとう)
聖武天皇・光明皇后の祈願所として伝えられている子安塔ですが、詳しい創建年代は不明です。
現存の建物は、1500年に建立されたものだといいます。
こちらも2013年までで既に修復作業は終わっており、建立当初の状態に復元し、彩色の補修や暴風対策などが施されました。
この檜皮葺の三十塔の内部には、子安観音が祀られています。
名前の通り、安産祈願に人気で、昔より信仰を集めてきた建物となっています。
こちらも重要文化財です。
10.大講堂
こちらは現代の建物で、清水寺開創1200年の記念事業として建てられたものになります。
1984年に観音信仰の道場として、また国際親善や文化交流の殿堂として建立されました。
この中には、清水寺の寺務所や宝蔵殿もあります。
寺務所は「じむしょ」と読み、清水寺の事務を行っている事務所です。
寺院の運営に関する仕事を執り行う僧が在籍するところです。
また、宝蔵殿は、清水寺の宝物を保管するところになります。
過去に鐘楼に吊るされていた鐘なども保管されています。
清水の舞台とは
清水寺と言えば、ことわざにもあるように舞台が有名です。
この舞台は、山の斜面に対してせり出す形で建てられています。
舞台を組立ている柱は、樹齢約400年のケヤキを使っており、舞台を支えているのは床下に建てられた18本の柱です。
そして、全体は172本の柱で組立てられています。
柱の直径は80cmから2mのものが使われているのですが、驚くべきなのは、この舞台を組立てるのに釘が1本も使われていないということです。
この舞台は、1633年に再建されたものです。
清水寺の舞台の構造
清水寺本殿の舞台は3つの構造から出来ています。
・南廊下(礼堂廊下)
・東楽舎(東翼廊)
・西楽舎(西翼廊)
この東楽舎と西楽舎とは、回廊を構成している部分の一つとなっているので分かりづらいのですが、舞台の左右に作られている入母屋屋根付きの堂舎がその部分になります。
阿弥陀堂から先にある山沿いの参道や奥の院から舞台を見れば、その姿を良く見ることができます。
昔はここから飛び降りていた!その舞台の高さ
清水寺の舞台の高さは、地上から約13mです。
建物の高さは1階で約3mですので、4階建ての建物に相当する高さになります。
4階建てと言われれば、かなり高いので、下を覗くと恐怖を感じてしまう高さです。
この高さから昔の人は祈願成就を願い飛び降りていたといいます。
昔の舞台の下の土は柔らかかったため、13mから飛び降りても大怪我で済んでいたみたいでした。
江戸時代に飛び降りていた人の記録が残っており、234人が飛び降りていました。
これは1694年から1864年のうち、欠落している部分を除いた148年分の記録です。
このうち死亡者は34人で生存率は85%だったそうです。
当時は、舞台の下には木々が多く生えており、土も柔らかかったのですが、現在は硬い土で、木々もまばらになっています。
そのため、今飛び降りるのは願掛けしても自殺行為です。
世界遺産登録について
清水寺は、世界文化遺産「古都京都の文化財」を構成する17の遺産の1つとして登録されています。
この「古都京都の文化財」は、
・『平安時代から江戸時代まで、日本の首都が置かれた京都の文化は、日本の建築、造園、都市計画などの発展に大きな影響を与えてきたこと』
・『建造物群は各時代の建築様式や庭園様式の代表例であり、自然環境と融合した景観は日本独自の精神性や文化を表していること』
などが評価され、1994年に、文化遺産に登録されています。
平成の大改修はいつまで?2008年から続く改修工事について
徳川家光が行った改修以降、実に400年ぶりとなる改修工事が「平成の大改修」です。
この工事は、2008年から開始され、境内や堂舎群を解体して修理したり、半壊修理を中心として行ってきました。
この工事の目的は、「可能な限り創建当初の清水寺伽藍の再現」を目指した修復作業です。
色が落ちてしまった部分については、彩色の塗装を行い、腐朽してしまった用材については、その部分の修復作業、檜皮葺の葺き替え作業などを行っており、それに合わせて、現代の技術を駆使して、地震・台風などの自然災害にも強いものへ生まれ変わらせ、これから先の時代までも美しい姿を残すためのものです。
この檜皮葺の屋根ですが、通常の耐用年数は30年~40年と言われており、前回は1967年に実施されており、そこからでも約50年経過しているため、耐用年数は全うした形での葺き替えとなります。
清水寺の拝観料・拝観時間について
清水寺の拝観料は、世界遺産としては非常に安い設定になっています。
高校生以上は通常料金が400円、小・中学生は200円でお寺に入ることが可能です。
障害を持たれている方については、障害者手帳や療育手帳の原本を提示することで、また障害者付き添いの方も身分証明書を提示すれば、それぞれ拝観料は無料になります。
他の観光施設で実施されているような団体割引はありません。
拝観時間については、朝は6時から開門されます。
閉門時間は、季節によって変動します。基本は18時が閉門時間になっており、土日や夏場については、18時30分が閉門時間になっています。
また、特別拝観時間が設定される期間があり、この期間については、21時が閉門時間となっています。
この夜間特別拝観では、かつては一度閉門時間で門を閉めて、再入場というかたちで料金も再度必要でしたが、現在は開門されたままでそのまま拝観を続けることが出来る様になっています。
清水寺へのアクセス方法について
清水寺へのアクセスは色々な方法があります。
まず、バスで行く場合ですが、清水寺の近くに、清水道と五条坂の2つのバス停がありますので、そちらで下車します。
新幹線やJR京都線を利用して京都に行く場合、京都駅発のバスが利用でき、市バス100系統と206系統の2系統の路線を利用することになります。
また、阪急京都線を利用して大阪から京都へ行く場合、終点の阪急河原町駅から出ている市バス207系統を利用することで、最寄りのバス停まで移動できるのです。
バス停からは清水寺までは、徒歩10分です。
次に電車で移動する場合ですが、京阪本線清水四条駅もしくは京阪五条駅で下車します。
清水寺は、これらの駅の徒歩圏内です。
京都駅からであれば、京阪本線と接続しているJR奈良線の東福寺駅で乗り換えが必要になります。
大阪からであれば、始発の淀屋橋から直通で移動することができます。
公共交通のバスや電車を利用しない場合、タクシーか徒歩での移動となります。
タクシーの場合、料金は約1,200円前後で、所要時間は約15分程度となっています。
京都の町を楽しみながら散策する場合は、京都駅から約3.5kmで所要時間は約1時間となっています。
車で移動する場合は、国道1号線沿いにあるため、場所はわかりやすいです。
駐車場は、五条坂を登って左手側に駐車場があります。
高速道路を利用する場合は、名神高速道 京都南ICより約20分、京都東出口より約25分となっており、阪神高速8号京都線利用の場合は鴨川東出口より約15分となっています。
まとめ
清水寺は数々の塔頭がある見どころの多い寺院です。
一通り見学してもかなり時間がかかるため、時間にゆとりを持った計画を立てて訪れることをおすすめします。
秘仏も多いのですが、特別公開をしている期間があったりしますので、清水寺を観光するのであれば、そのようなイベントの下調べをしてから参拝するようにすれば、より清水寺を楽しむことができます。