古都京都の文化財 日本の世界遺産

世界遺産 古都京都の文化財

1.世界遺産登録基準

京都は世界遺産リストに「古都京都の文化財」という名前で登録されています。

世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。

古都京都の文化財は登録基準ⅱ、ⅳを満たし、世界遺産リストに登録されました。

世界遺産登録基準 ⅱ.(人類の価値観の交流があったことを示すもの)の適用について

京都は794年~1867年までの1000年以上もの間、日本の首都であり続けました。その間多くの文化が栄えましたが、京都は常にその中心地として文化の創出に寄与してきました。それらの文化は国内各地の建築様式や庭園の発展に大きく影響を及ぼします。また庭園については国内だけでなく海外にまで影響を及ぼしました。

これらの点が基準ⅱ.に該当するとして、評価されました。

世界遺産登録基準 ⅳ.(時代を表す建築物や景観の見本となるもの)の適用について

17件の構成資産は日本の各時代を代表する文化を良く表しています。特に建築様式や庭園様式について、各資産は時代それぞれの特徴を良く示しています。

この点が基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。

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2.古都京都の文化財の遺産価値総論

古都京都の文化財の遺産価値は「日本文化の歴史をよく伝えていること」です。

京都には794年平安京遷都から1867年大政奉還までの1000年以上もの間、日本の首都であり続けたという歴史があります。

日本では時代の変遷に伴い様々な文化が生まれてきましたが、首都である京都はその文化の創出・発展に大きな役割を果たしてきました。それを示すように京都には各文化の特徴を反映した木造建築、宗教建築、庭園などが数多く存在します。これらの建造物はその歴史と発展過程をよく表しています。

また日本の建造物は壊れやすい木造建築が主体ですが、その保存状態の良さも高く評価されています。

建造物自体は天災や戦乱などにより焼失してしまったものもありますが、伽藍配置などは当時の様子を再現して復興してあり、各時代における建築様式や庭園様式といった日本文化の特徴を現代によく伝えています。

3.古都京都の文化財の歴史

京都の主な歴史は794年に平安京遷都してから、平安時代、鎌倉時代、室町時代、桃山時代江戸時代を経て現代に至ります。このうち、1867年大政奉還により江戸時代が終わりを告げるまでの1000年以上もの間、京都は日本の首都でした。ここでは京都に首都が移った平安時代以降について、その時代に栄えた文化と共に紹介していきます。

(1) 平安時代(794~1184年)
平安時代は大きく前期と後期(末期)に分けられます。

平安時代前期は平安時代以前も含め、王朝文化が栄えます。王朝文化というのは貴族中心の文化で「きらびやか、繊細、自然との融合」を美とする文化でした。

平安時代末期になると貴族勢力の衰退や武士勢力の強まりなどがあり、社会は混乱します。この時代に栄えた文化が院政期(いんせいき)文化という文化です。当時、混乱の大きかった世の中には末法思想(まっぽうしそう)も相まって、「死後、極楽浄土に往生しよう」という浄土思想が広まります。これが「阿弥陀堂建築」や「浄土庭園」といった院政期文化の建築様式、庭園様式に繋がっています。

[平安時代以前、平安時代設立当初の特徴を伝える資産]

賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、教王護国寺、清水寺、延暦寺

[平安時代前期の特徴を伝える資産]

醍醐寺、仁和寺

[平安時代後期の特徴を伝える資産]

平等院、宇治上神社

(2) 鎌倉時代(1185~1332年)
鎌倉時代は武士による政権が成立した時代で、鎌倉文化と言う文化が栄えました。鎌倉文化には3つの文化が関わっています。

1つ目は従来の伝統文化の中心であった公家による公家文化、2つ目は政治的・経済的な力を持ち始めた武家の武家文化、3つ目は浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗といった鎌倉新仏教6宗が出来るなど新しい動向の起こった仏教による仏教文化です。鎌倉文化の特徴はこの3つの文化が影響を及ぼし合っていることです。

[鎌倉時代を伝える資産]

高山寺

(3) 室町時代(1333~1572年)
室町時代には大きく2つの文化が存在します。前期の南北朝時代に栄えた北山文化と中~後期に栄えた東山文化です。

北山文化は公家文化と武家文化の融合、そして禅宗などの大陸文化の影響を受けた文化です。この頃には禅宗寺院や禅宗庭園といった建築様式が現れます。貴族的・華麗さが特徴で、そんな北山文化を象徴しているのが構成資産の一つでもある鹿苑寺(ろくおんじ)です。

東山文化は北山文化がさらに洗練されたものと言われています。東山文化からは能や茶道、華道と言った現在にも続く芸術が生まれました。

特徴としては、幽玄、わび・さびといった美意識が根底にあることです。この東山文化を象徴しているのが構成資産の一つでもある慈照寺(じしょうじ)です。

室町時代にはこの他にも京都の文化にとって大きな出来事がありました。それが1467~1477年まで続いた応仁の乱です。京都を舞台にしたこの戦乱により、古代からあった多くの文化的建造物は失われてしまいます。しかし、この戦乱を避けるために地方へ移った貴族たちによって、地方への文化の伝播が進行しました。また、この戦乱の復興のために祇園祭や五山の送り火が始まったとされています。

[室町時代前期を伝える資産]

天竜寺、西芳寺、鹿苑寺

[室町時代後期を伝える資産]

慈照寺、龍安寺

(4) 桃山時代(1573~1614年)
桃山時代は織田信長、豊臣秀吉による天下統一が進んだ時代です。この時代の文化は桃山文化と呼ばれています。武力によって権力を得た武将や経済的に力を持った豪商によるもので、盛んな海外交渉を背景に豪壮・華麗であったことが特徴です。また城郭建築も桃山時代を象徴するものの一つです。この頃に山に築かれた山城から平地に築かれる平城に変わり、堀や天守を含む城郭が発展していきました。

[桃山時代を伝える資産]

本願寺、二条城、醍醐寺の殿堂・庭園

(5) 江戸時代(1615~1867年)
江戸時代にも寛永文化や元禄文化といった文化が栄えました。古都京都の文化財の構成資産の中では、清水寺や仁和寺といった古くからの社寺が伝統的な建築様式を用いて再興された時代です。

また京都には全国の寺院の本寺が多く、本山参りや観光として多くの人が訪れました。そのため宗教都市・観光都市としての性格が形成され、多くの社寺が現在まで維持されることに繋がっています。

(6) 近代 (1868年以降)
江戸時代が終わると日本には近代化の波が訪れます。近代化を進める中では文化資産軽視の風潮も生まれますが、国の法令や各自治体の保全活動により文化財は適切に保護されてきました。現在でも17の構成資産は日本の文化を示す資産として存在しています。

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4.古都京都の文化財 構成資産の一覧、概要

(1) 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) = 上賀茂神社

①歴史
・~7世紀末 設立
・~11世紀初頭 現在に近い姿に整備
・1628年 再興(平安時代の状況を再現)
・1863年 本殿、権殿(ごんでん) 造替

②特徴
賀茂別雷神社は平安時代以降国家鎮護(こっかちんご)の神社として朝廷の崇敬を集めていました。

建造物としての特徴は「流造(ながれづくり)」という古制が良く示されていることです。本殿と権殿が東西に並んでおり、共に正面3間、側面2間で正面に向拝(こうはい)をつけた形式、檜皮葺(ひわだぶき)、切妻造平入(きりつまつくり ひらいり)の屋根をしています。

京都の三大祭りの一つである葵祭(あおいまつり)の舞台としても有名です。

③遺産価値
古代の神社景観を現在に伝えていることです。

上賀茂神社

(2) 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)= 下鴨神社

①歴史
・8世紀中頃 賀茂別雷神社から分立
・~11世紀初頭 現在に近い姿に整備
・1036~1322年 20年ごとに式年増替
・1467~1477年 応仁の乱によりほとんどが焼亡
・1629年 再興(平安時代の状況を再現)
・1863年 最後の造替

②特徴
賀茂御祖神社の特徴は賀茂別雷神社と同様に国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めていたこと、「流造」という古制が良く示されていることです。こちらも京都の三大祭りの一つである葵祭の舞台としても有名です。

また、境内が「源氏物語」などの数々の文学に語り継がれる「糺(ただす)の森」という大きな森に包まれていることも特徴です。

③遺産価値
古代の神社景観を現在に伝えていることです。

下鴨神社

(3) 教王護国寺(きょうおうごこくじ)= 東寺

①歴史
・796年 国家鎮護のために建立
・823年 空海に下賜(かし) 真言密教の道場となる
・1486年 中門・回廊 焼失
・1603年 金堂(本堂) 再建
・1644年 五重塔 再建

②特徴
教王護国寺は南大門、金堂、講堂、食堂、北大門が南北軸上に並び、東南方には五重塔が、西南方には灌頂院(かんじょういん)が配されています。

この伽藍(がらん)配置は創建当時のもので、平安京復元の基準としての意味を持っています。これまで何度も戦乱により焼失してしまいましたが、その都度政権の庇護のもとに再建されています。

五重塔は日本最大の高さで京都の景観的なシンボルとしても有名です。また、大師堂(たいしどう)は平安時代の寝殿造(しんでんづくり)の形式を現代に残しています。

③遺産価値
創建当時の伽藍配置・平面規模を現在に伝えていることです。

東寺

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(4) 清水寺(きよみずでら)

①歴史
・778年 僧・延鎮(えんちん)が開いた私寺が起源
・798年 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が本堂建立
 桓武(かんむ)天皇の勅願寺(ちょくがんじ)となる
・~13世紀 伽藍構成 成立
・1631~33年頃 馬駐(ばちゅう)、仁王門、鐘楼以外が再建

②特徴
清水寺の一番の特徴は何と言っても崖から張り出す懸造り(かけづくり)の本堂です。

1633年に再建されたもので、林立する高い支柱に貫が縦横に通されており、「清水の舞台」として非常に有名です。創建後、火災焼失が9度もありましたが、大半は1633年に再建された建造物です。この他にも江戸時代初期に造られた借景式の成就院庭園(じょうじゅいんていえん)などがあります。

③遺産価値
800年以上前から現代まで受け継がれる美しい景観です。

清水寺

(5) 延暦寺(えんりゃくじ) = 比叡山延暦寺

①歴史
・788年 最澄が平安京の鬼門鎮護のために建立
・10世紀後期 東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の3地域を中心に隆盛を築く
・1571年 織田信長による焼き討ちでほぼ全焼 
・1640年 根本中堂(こんぽんちゅうどう) 再建

②特徴
延暦寺は天台宗の総本山で、日本の仏教各派の始祖となった高僧を何人も世に送り出した修行の寺です。その範囲は広大で比叡山全体に拡がっており、「東塔」、「西塔」、「横川」という3地域に17世紀までに建てられた約200もの堂塔が存在します。

総本堂である根本中堂は正面11間(20m)、側面6間(10.9m)という大規模な仏堂で、平安時代からこの大きさだったとされています。格式高い造りになっていますが、装飾や構造は江戸時代の様式となっています。

③遺産価値
1200年もの間、日本の仏教総本山として現代まで存在していることです。

延暦寺

(6) 醍醐寺(だいごじ)

①歴史
・874年 醍醐山山頂に小堂が開かれる
・904年 平地伽藍の整備が始まる
・907年 醍醐(だいご)天皇の勅願寺となる
・952年 五重塔建立を持って完成
・1121年 山上伽藍の薬師堂 再建
・16~17世紀 豊臣秀吉による再建や庭園の築造が行われる

②特徴
醍醐寺は醍醐山全体が境内であり、80棟の建造物が存在します。

特徴としては山上の伽藍と西麓の平地伽藍に分かれていること、焼失・再建を繰り返しながらいくつもの時代の特徴を残していることです。952年に完成した五重塔は京都において現存最古のもので、密教寺院の特性を示しています。
1121年に再建された薬師堂は平安時代初期の仏堂の規模・様式を、1600年に紀州から移築された金堂は平安末期の仏堂様式を今に伝えています。

また1598年に豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」のために増築・改造された三宝院書院(さんぽういんしょいん)と庭園には、それぞれ平安時代の寝殿造の様式と池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と枯山水庭園(かれさんすいていえん)の折衷様式が取り入れられています。

③遺産価値
現存最古の五重塔など各時代の特徴を残した建造物が多く存在することです。

醍醐寺

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(7) 仁和寺(にんなじ)

①歴史
・886年 光孝(こうこう)天皇 発願(ほつがん)
・888年 宇多(うだ)天皇により完成
・1467~1477年 応仁の乱で全伽藍が焼失
・1641~1644年 再興

②特徴
仁和寺は皇族や公家が初めて住職を務めた門跡寺院(もんせきじいん)の筆頭で、「御室御所」(おむろごしょ)と呼ばれています。

1641~44年の再興時に、当時御所にあった紫宸殿(ししんでん)を金堂に、常御殿(つねごでん)を仁和寺御殿に移築することで再興しました。この金堂は桃山時代の宮殿建築を伝える貴重なものです。

③遺産価値
桃山時代の宮殿建築を今に伝えていることです。

仁和寺

(8) 平等院(びょうどういん)

①歴史
・1052年 藤原道長(ふじわらのみちなが)の別荘が子・頼通(よりみち)により寺院に改められ完成
・1053年 阿弥陀堂(あみだどう)(現在の鳳凰堂(ほうおうどう))完成
・1331年 戦火により鳳凰堂以外が焼失
・1641~1644年 再興

②特徴
平等院は桃山時代と藤原道長の別荘だったものを、その子・関白頼通が寺院へ改めたものです。現在は鳳凰堂と鎌倉時代に再建された観音堂、鐘楼などが残っています。

鳳凰堂は中堂を中心にして、左右に翼廊(よくろう)、背面には尾廊(びろう)がひろがり、想像上の鳳凰に形が似ているとされています。また、鳳凰堂の前面には西方極楽浄土を具現した庭園が拡がっています。この形式の庭園は日本特有のもので、浄土庭園(浄土式庭園)と呼ばれその後の寺院庭園の原型となりました。

③遺産価値
西方極楽浄土を具現化した初期の建築であることです。

平等院

(9) 宇治上神社(うじがみじんじゃ)

①歴史
・11世紀後半(1060年という説あり) 平等院の鎮守社(ちんじゅしゃ)として創建
・13世紀前半(1215年という説あり) 拝殿 創建

②特徴
宇治上神社は平等院鳳凰堂の鎮守社として崇められてきた現存する最古の神社建築です。

本殿は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の内殿(ないでん)三棟が並んでおり、それを「覆屋」(おおいや)と呼ばれる屋根で覆っています。また住宅風建築である拝殿も13世紀初頭に建てられたもので現存する最古の拝殿となっています。拝殿は寝殿造の流れがくまれています。

③遺産価値
現存最古の神社建築であることです。

宇治上神社

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(10) 高山寺(こうざんじ)

①歴史
・774年 開創
・1206年 明恵(みょうえ)上人により中興 高山寺と改称
・1634年 再興

②特徴
高山寺は国宝「鳥獣人物戯画」(ちょうじゅうじんぶつぎが)などの寺宝で有名な寺院です。

明恵上人時代の唯一の遺構である石水院(せきすいいん)は、鎌倉時代初期の寝殿造の特色が見られます。また、自然と調和したその姿は日本文化のひとつのあり方を示しています。

③遺産価値
鎌倉時代の建築物としての特徴が残っていることです。

高山寺

画像:高山寺

(11) 西芳寺(さいほうじ) = 苔寺

①歴史
・729~749年 僧・行基(ぎょうき)によって開山
・1339年 夢窓疎石(むそうそせき)が禅宗寺院として復興
・1469年 応仁の乱の兵火により建物が焼失
・1596~1615年 千少庵により再建

②特徴
西芳寺はその庭園が有名な寺院です。

建物に関しては応仁の乱でそのほとんどが失われてしまいましたが、夢窓疎石が整備した庭園は苔に覆われながらも保持されており、その姿も名園と評価されています。

庭園は上段と下段に分かれており、上段の石組は最古の枯山水、下段は池泉回遊式庭園となっています。

③遺産価値
後世の庭園に大きな影響を与えた庭園であることです。

西芳寺・苔寺

(12) 天龍寺(てんりゅうじ)

①歴史
・1255年 離宮として造営
・1339年 夢窓疎石の勧めで足利尊氏が建立に着手
・1345年 落慶法要(らっけいほうよう)

②特徴
天竜寺も西芳寺と同じくその庭園が有名な寺院です。

建物に関しては度重なる兵火により主要伽藍は失われてしまいましたが、夢窓疎石が策定した庭園は残っており、現在では特別名勝に指定されています。

この庭園は借景庭園の原型とされており、後の枯山水庭園に影響を与えています。

③遺産価値
後世の庭園に大きな影響を与えた庭園であることです。

天龍寺

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(13) 鹿苑寺(ろくおんじ) = 金閣寺

①歴史
・鎌倉時代 貴族の別荘として建てられる
・1397年 足利義満(あしかがよしみつ)が譲り受ける
・1422年 義光の死後、禅宗寺院として開山
・1467~1477年 応仁の乱で金閣を除くほとんどの建物が焼失
・1950年 金閣が放火により焼失
・1955年 復元

②特徴
金閣寺は第2層、第3層の前面に金箔を押してある華麗な建築物です(ただし現在の建物は1955年に再建されたもの)。

第1層は公家風寝殿造風、第2層は鎌倉時代の書院造(しょいんづくり)、第3層は禅宗仏堂風になっており、公家文化、武家文化、仏教文化の融合が見られます。これは義満の権威と王朝への憧れを示しています。また、庭園は借景庭園で西芳寺に倣った構成になっています。

③遺産価値
当時の庭園の様子を現代に伝えていることです。

鹿苑寺・金閣寺

(14) 慈照寺(じしょうじ) = 銀閣寺

①歴史
・1482年 足利義政(あしかがよしまさ)の別邸東山殿(ひがしやまどの)を義政の死後、禅寺に。
・1485年 東求堂(とうぐどう) 創建
・1489年 銀閣 創建
・17世紀中期 復興

②特徴
慈照寺は室町時代に栄えた東山文化を象徴する寺院です。西芳寺をモデルに、池を囲むように銀閣、東求堂といった建物が建てられています。

銀閣は下層が書院風、上層が仏堂風となっており、東求堂は書院造りの源流と位置付けられています。

庭園は池を中心に多くの名石、樹木が配された池泉回遊式庭園です。東山文化を代表する名園として特別名勝に指定されています。

③遺産価値
日本を代表する東山文化を象徴していることです。

慈照寺・銀閣寺

(15) 龍安寺(りょうあんじ)

①歴史
・1450年 貴族の別荘の地を細川勝元(ほそかわかつもと)が譲り受け禅寺に。
・15世紀中期 石庭が完成(とされている)
・1488年 方丈(ほうじょう)(本堂)が復興、諸堂が整備される
・1797年 火災で焼失。西源院の方丈(1606年築)を移築し現在の方丈に

②特徴
龍安寺は石庭が有名な寺院です。

方丈の南側にある方丈庭園は白砂敷の中に15組の石組が配置されるという枯山水庭園の極限的な姿で、かのエリザベス女王も訪問するなど世界的に有名な庭園です。

③遺産価値
東山文化の枯山水庭園を代表する庭園であることです。

龍安寺 石庭

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(16) 本願寺(ほんがんじ) = 西本願寺

①歴史
・1272年 吉水に親鸞聖人(しんらんしょうにん)の廟堂(びょうどう)として建てられる
・1591年 豊臣秀吉の命で現在地へ
・~1633年頃 現在に近い建造物群が完成

②特徴
本願寺は浄土真宗の開祖である親鸞聖人を祀っている寺院です。

建造物としては豪壮・華麗な桃山文化を代表するものが多く、書院、黒書院、唐門(からもん)、飛雲閣(ひうんかく)、虎渓(こけい)の庭が有名です。書院は豪壮な書院造の形態、黒書院は数寄屋風書院の代表例です。

唐門には多くの彫刻や飾金具が施され、豪華に飾られています。飛雲閣には入母屋造(いりもやづくり)と唐破風造(からはふづくり)の異なる様式が折衷されており、軽快で卓抜した桃山時代の気風を伝えています。虎渓の庭と呼ばれる枯山水庭園は単純な構成ながら派手で大胆な桃山時代の豪華さが良く現れています。

③遺産価値
桃山時代の文化・特徴を現代に伝えていることです。

西本願寺

画像:お西さん(西本願寺)

(17) 二条城(にじょうじょう)

①歴史
・1603年 徳川家康により創建
・1624~26年 徳川家光が拡張、現在の規模に。
・1788年 大火により本丸御殿(ほんまるごでん)などが焼失
・1867年 徳川慶喜が二条城にて大政奉還を行う

②特徴
二条城は徳川家康により御所の警備、上洛時の居城のために創建された城です。

桃山文化の精神を代表する資産であり、二の丸御殿と二の丸庭園は桃山文化の特徴をよく表しています。二の丸御殿は武家風書院造を代表する建築で、当時の城郭建築として現存する唯一のものです。二の丸庭園は池泉回遊式庭園で小堀遠州(こぼりえんしゅう)の作とされており、その力強い意匠は豪壮な建築群とよく調和し、桃山文化の庭園の特徴を残しています。

③遺産価値
桃山時代の文化・特徴を現代に伝えていることです。

二条城

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【参考書籍】

すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)

【参考HP】

Wikipedia 古都京都の文化財 

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

Wikipedia 日本史時代区分表

Wikipedia 国風文化

Wikipedia 院政期文化

Wikipedia 鎌倉文化

Wikipedia 北山文化

Wikipedia 東山文化

Wikipedia 桃山文化

日本の世界遺産 古都京都の文化財

京都市情報館 世界遺産「古都京都の文化財」

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