古都奈良の文化財 日本の世界遺産

世界遺産 古都奈良の文化財の登録理由・一覧

1.世界遺産登録基準

奈良は世界遺産リストに「古都奈良の文化財」という名前で登録されています。

世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。

古都奈良の文化財は登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵを満たし、世界遺産リストに登録されました。

世界遺産登録基準 ⅱ. (人類の価値観の交流があったことを示すもの)の適用について

奈良の寺院の多くは8世紀に中国や朝鮮から伝えられた建築技術をもとに日本で発展したものです。これらは中国大陸・朝鮮半島と日本の技術・文化の交流があったことを示しています。また、構成資産には奈良時代の「和様」の建築文化に加え、「大仏様」なる新たな建築文化も見られ、日本建築の発展の様子が見て取れます。

これらの点が基準ⅱ.に該当するとして、評価されました。  

世界遺産登録基準 ⅲ. (文化や文明を証明する珍しい証拠となるもの)の適用について

古都奈良の構成資産は古代の都の様子を現代に伝える非常に珍しい資産です。とりわけ平城宮跡は平安京より古いものであるにもかかわらず、都市開発の影響を受けなかったため保存状態が良く、この時代の文化を示す重要かつ貴重な証拠となっています。また、木簡などの文学的な遺物なども発見されており、考古学的価値も高い資産です。

これらの点が基準ⅲ.に該当するとして、評価されました。  

世界遺産登録基準 ⅳ. (時代を表す建築物や景観の見本となるもの) の適用について

古都奈良の構成資産は古代の建築や都市設計をよく示しています。また平城京のあった710~784年頃の建築物は中国や朝鮮にも残っておらず、日本だけでなく初期アジアの建築様式、都市設計を表す証拠として極めて珍しいものとなっています。

この点が基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。

世界遺産登録基準 ⅵ. (大きな出来事、伝統、宗教などと深い関わりのあるもの)の適用について

古都奈良の構成資産は日本の神道、仏教といった宗教と密接に結びついています。特に春日大社とその神域である春日山原始林との関係は、自然を神格化しようとする日本独自の神道思想をよく表しています。また、奈良では宗教儀式や行事が現在でも多く残っており、文化として根付いています。

この点が基準ⅵ.に該当するとして、評価されました。

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2.古都奈良の文化財の遺産価値総論

古都奈良の文化財の遺産価値は「古代日本の都の様子を現代に伝える貴重な証拠であること」です。

奈良が都であった時代は奈良時代と呼ばれる710~784年の74年間です。これは1000年以上日本の首都として栄えた京都に比べるととても短いです。しかし、その短さゆえ都市開発の変容にさらされることなく、当時の建築物や遺構が非常に良好な状態で残っています。また、この時代の建造物は国内でも奈良県にしか残っておらず、古都奈良の文化財の構成資産が当時の様子を伝える貴重な証拠であるということがわかります。

奈良時代は中国大陸や朝鮮半島からの文化が日本に伝わり発展した時代です。その文化というのは、仏教、都市設計、建築技術、寺院の伽藍配置や漢字、服装に至るまで実に様々ですが、8つの構成資産はそういった文化の当時の状況を現代に伝えています。

例えば、構成資産の一つである東大寺は、当時日本全国に建てられた国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)の総本山として建てられました。そして、東大寺には「奈良の大仏」として有名な廬舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう)が造られます。これは仏教を日本全土に広め、都である奈良を日本全土の中心にしようとしていたという当時の様子が窺えます。

他の構成資産からも、当時の都市設計や建築技術などがわかり、古都奈良が当時の文化を伝える重要な証拠であることを物語っています。

3.古都奈良の文化財の歴史

古都奈良の文化財に関する歴史は主に奈良時代のものです。そのため、ここでは奈良時代の歴史に関して紹介します。

[奈良時代前半]

奈良時代は710年、都が平城京に遷都してから始まります。その後、718年に構成資産である元興寺と薬師寺が、それまでの都であった飛鳥・藤原地域から移転してきました。720年には興福寺の造営工事が進展していたことがわかっています。

[奈良時代後半]

奈良時代には仏教を国内に広める仏教興隆政策がとられていましたが、聖武天皇(しょうむてんのう・即位期間724~749年)の時にそれがピークを迎えます。741年には国家守護のため日本各地に国分寺の建立が命じられ、745年にはその頂点に立つ総国分寺として東大寺の造営が発願されます。これにより、日本全国に仏教が広まり、天皇を中心とする中央集権国家の基礎が形作られました。

754年には唐から鑑真が来日し、日本に戒律を伝えます。その後、759年に戒律を学ぶための寺として鑑真が唐招提寺を創建しました。

768年には春日大社が創立されました(社伝では768年と伝えられていますが、実際には奈良時代初め頃の創立とも考えられています。)。春日大社は藤原氏の氏神を祀った神社で、藤原氏が奈良時代に力を持ち始めたという歴史背景を伺うことが出来ます。春日山は春日大社の神山で、古くから神の降臨する山として神聖視されていました。春日山は平安時代に入った841年、勅命により狩猟・伐採が禁じられ、現代まで古代のままの姿を残しています。

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4.古都奈良の文化財の構成資産の概要

(1)東大寺(とうだいじ)

①歴史
・741年 国家守護のため全国に国分寺を建立
・743年 廬舎那仏座像(るしゃなぶつざぞう) 造立の詔
・745年 東大寺の造営 発願
・751年 金堂(大仏殿) 完成
・奈良時代末 伽藍全体 完成 
・1180年 主要伽藍 焼失
・12世紀 大仏様(だいぶつよう)という建築様式で主要伽藍の再建
・1567年 主要伽藍 再焼失
・1709年 再建

②特徴
東大寺は仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の勅願により、全国の国分寺、国分尼寺の頂点として建立された寺院です。ここには「奈良の大仏」として有名な廬舎那仏座像が安置されています。この大仏がある大仏殿は世界最大級の木造建築物で、大仏を含め国宝にも指定されています。このほか、奈良時代からの建造物である転害門(てんがいもん)、校倉造り(あぜくらづくり)の本坊経庫(ほんぼうきょうこ)、正倉院正倉(しょうそういんしょうそう)、奈良時代と鎌倉時代の両方の建造方法が調和した法華堂(ほっけどう)、阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)の仁王像が安置されている南大門(なんだいもん)など、多くの国宝や重要文化財が存在します。

③遺産価値
奈良時代の建築物と世界最大規模の鋳造仏(ちゅうぞうぶつ)・木造建築

東大寺

(2)興福寺(こうふくじ)

①歴史
・669年 前身の厩坂寺(うまやさかでら) 創立
・710年 藤原不比等(ふじわらのふひと)により飛鳥から平城京へ移転
・1180年 兵火によりほぼ焼失 その後すぐに再建
・1717年 伽藍中心部 焼失
・明治時代初め 廃仏棄釈により廃寺となるが、その後再興

②特徴
興福寺は藤原氏の氏寺として古くから強大な勢力を持っていた寺院です。焼失・再建を繰り返していますが、東金堂(とうこんどう)や五重塔は奈良時代以来の純粋な和様建築(わようけんちく)で再建されており、貴重な建物です。その他、初期大仏様の形式を取り入れた北円堂(ほくえんどう)などの建築物で構成されています。五重塔は京都の教王護国寺に次いで日本で2番目に高い高さを誇り、古都奈良の景観のシンボルとなっています。

③遺産価値
日本古来の和様建築を現在に伝えていること

興福寺

(3)春日大社(かすがたいしゃ)

①歴史
・768年 称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅令により創立
(社伝では。実際は奈良時代初めと考えられている。)
・平安時代後期~ 神仏習合思想のもと興福寺と一体化
・中世以降 民衆の間にも信仰が広まり、全国各地に3000を超える分社がつくられる

②特徴
春日大社は自然と調和した日本神社建築の伝統が残る神社です。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山の麓に藤原氏の氏神を祀った神社で、自然の地形を巧みに利用して建てられています。社殿の基本的な構成は平安時代初期からほとんど変わっていないとされています。本社本殿は春日造り(かすがづくり)の4つの神殿が並列に建っています。春日造りは神社本殿建築の代表的な形式の一つで、春日大社の本社本殿はその最も典型的な例です。

③遺産価値
日本神社建築の伝統を現在に伝えていること

春日大社

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(4) 春日山原始林(かすがやまげんしりん)

①歴史
・841年~ 聖域となり狩猟、伐採が禁止される
・明治時代 国の所有となる
・1955年 特別天然記念物に指定される

②特徴
春日山原始林は1000年以上も伐採が禁止され、今なお手つかずの自然が残る貴重な樹林帯です。春日大社の神域として平安時代から守られ続けてきました。60種以上の鳥や約800種の植物の生息域で、モリアオガエルやカスミサンショウウオといった珍しい動物も生息しています。また貴重な原始林だけでなく、日本独特の自然に対する信仰が伺えるという点でも重要な資産となっています。

③遺産価値
1000年以上も手つかずの原始の自然が残っていること

春日山原始林

(5) 元興寺(がんごうじ)

①歴史
・6世紀 前身の飛鳥寺(あすかでら)を蘇我馬子(そがのうまこ)が建立
・718年 平城京に移転
・12世紀頃~ 「極楽坊(ごくらくぼう)」が浄土教の念仏道場として発展、次第に独立
・鎌倉時代 極楽坊が極楽堂(ごくらくどう)と禅室(ぜんしつ)に改築される
・1451年 火災により元興寺の大部分が焼失

②特徴
元興寺で現在も残る極楽堂と禅室は、和様に大仏様が取り込まれた建築様式が特徴です。また極楽堂は鎌倉時代の建立ですが、屋根には飛鳥時代の瓦、建材には奈良時代のものが使用されているのも特徴です。

③遺産価値
日本古来の建築様式、古代の材料を使用した建造物が現存していること

元興寺

(6) 薬師寺(やくしじ)

①歴史
・680年 天武天皇(てんむてんのう)の発願により官寺として創建
・718年 平城京に移転
・730年 東塔 建立
・973年 金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失
・1285年 東院堂(とういんどう) 再建
・1445年 大風で金堂倒壊
・1528年 兵火により西塔焼失

②特徴
薬師寺は730年(奈良時代)に建てられた東塔と鎌倉時代に再建された東院堂が特徴の寺院です。東塔の建立は730年ですが、意匠は創建された7世紀末の白鳳時代(はくほうじだい)の建築様式を踏襲したとされています。大小重なった六層の屋根は日本で最も美しい塔として知られています。また、伽藍配置も特徴的で薬師寺式伽藍配置と呼ばれています。

③遺産価値
白鳳文化の特徴を現代に伝えていること

薬師寺

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(7) 唐招提寺(とうしょうだいじ)

①歴史
・759年 戒律を学ぶための寺として鑑真和上(がんじんわじょう)が創建
・770~781年 金堂(こんどう) 造営
・810年 五重塔 建立
・鎌倉時代後期 修造・再建が続き、寺観が一新
・1802年 雷火で五重塔焼失

②特徴
唐招提寺の特徴は主要な建造物が奈良時代に創建されて以来、焼失・倒壊することなく現代まで残っていることです。特に金堂は奈良時代の金堂建築としては唯一の遺構、現存する天平建築としては最大であり、日本建築史上極めて価値が高い建造物です。また、金堂の本尊・廬舎那仏座像や、御影堂(みえいどう)の鑑真和上坐像を始めとした仏教美術の宝庫でもあります。

③遺産価値
奈良時代の多くの建造物・美術品が現代まで残っていること

唐招提寺

(8) 平城宮跡(へいじょうきゅうせき)

①歴史
・707年 元明天皇(げんめいてんのう) 即位
・710年 平城京に遷都
・元明天皇即位中 元明天皇が第一次大極殿(だいいちじだいごくでん)を造営
・724年 聖武天皇(しょうむてんのう) 即位
・740~745年 現在の大阪、京都、滋賀の各地に都を移すが、平城京に還都
・還都後 聖武天皇が第二次大極殿を造営
・784年 長岡京に遷都
・794年 平安京に遷都
・809年 平城天皇(へいぜいてんのう)が嵯峨天皇(さがてんのう)に譲位し、平城宮を居地と定める
・810年 平城天皇が平城遷都を計画するが失敗する
・864年 このころ、平城旧京の道路は耕されて田畑となる
・1952年 平城宮跡が国の特別史跡に指定される
・1955年~ 大規模な発掘調査開始
・1961年 「続日本記」などの古記録を裏付ける木簡が出土
・1998年 朱雀門(すざくもん)、東院庭園(とういんていえん)が復元される
・2010年 第一次大極殿が復元される

②特徴
平城宮跡の特徴は、遺跡としての保存状態が極めて良好であることです。平城宮跡は地上の建造物はなくなってしまいましたが、廃都後に都市開発などが行われなかったこともあり、地下遺構はほぼ完全な状態で保存されています。歴史上重要な木簡などの遺物も発見されており、遺跡としての価値が非常に高い構成資産です。

平城宮には天皇の居所および官公庁があり、政治・経済の中心でした。場所は都である平城京の中央北端に位置し、その大きさは東西約1.2km、南北約1km、面積120haほどもありました。現在の平城宮跡には近年復元された朱雀門、東院庭園、第一次大極殿があり、2018年には「朱雀門広場」も開園しています。

③遺産価値
古都「平城京」の様子を現代に伝えていること

平城京跡

[参考書籍]

すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)

[参考HP]

Wikipedia 古都奈良の文化財

UNESCO World Heritage  

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)

文化遺産オンライン 古都奈良の文化財

Travelers Guide 奈良の世界遺産

日本の世界遺産 古都奈良の文化財

唐招提寺

平城宮跡歴史公園

Wikipedia 平城宮

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