百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群 日本の世界遺産

世界遺産_百舌鳥・古市古墳群の魅力 世界遺産登録理由

百舌鳥・古市古墳群は、大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市にまたがる49基の古墳群の総称です。

百舌鳥・古市古墳群が造営されたのは古墳時代の最盛期である4世紀後半から5世紀後半と考えられ、長さ500メートルに及ぶ巨大な墳墓もあり、巨大な墳墓の大半が世界的に特異な形状である前方後円墳です。

2019年7月6日、アゼルバイジャンの首都バクーで開かれていたユネスコ世界遺産委員会において、世界遺産に登録されました。

49基の古墳のうち、仁徳天皇陵は周辺の陪塚(ばいちょう・ばいづか)冢で茶山古墳と大安寺山古墳とひとくくりで1件と勘定され、応神天皇陵は周辺の誉田丸山古墳及び二ツ塚古墳と一体のものと考えられるので、こちらも件数としては1件となります。したがって、世界遺産としての登録件数は45件となります。

百舌鳥古墳群は堺市周辺にある23基の古墳群のことを指し、古市古墳群は羽曳野市から藤井寺市にかけて26基の古墳群を指します。

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1.百舌鳥古市古墳群が世界遺産になった理由

文化庁は百舌鳥・古市古墳群が世界遺産の登録基準(iii)「現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠」、(iv)「人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例」を満たしているとして世界遺産委員会に推薦しました。

基準 ⅲ.については、「古墳は日本各地に16万基存在するものの、日本古代の古墳時代の文化を代表し、また類まれな物証を提供するものが百舌鳥・古市古墳群である。45の構成資産は、この時代の社会政治的構造、社会的階層差および高度に洗練された葬送体系を証明している」としました。

また、基準 iv.については、「百舌鳥・古市古墳群は、古代東アジアの墳墓築造の一つの顕著な類型を示すものである。古墳、およびその有形の属性である土像、濠、幾何学的な段築を持ち、石で補強した墳丘は、この歴史的に重要な時代における社会階層の形成性のうえで顕著な役割を果たしたものである。」としました。

出典:堺市百舌鳥古墳群等史跡保存整備委員会の議事録・配布資料(令和3年度)参考資料2 世界遺産推薦書「顕著な普遍的価値の言明」

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2.百舌鳥・古市古墳群にある主な古墳

百舌鳥・古市古墳群には次の古墳がありますが、ここでは主な古墳について紹介します。

百舌鳥古墳群

反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)
仁徳天皇陵古墳墳(にんとくてんのうりょうこふん)
茶山古墳(ちゃやまこふん)
大安寺山古墳(だいあんじやまこふん)
永山古墳(ながやまこふん)
源右衛門山古墳(げんえもんやまこふん)
塚廻古墳(つかまわりこふん)
収塚古墳(おさめづかこふん)
孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)
竜佐山古墳(たつさやまこふん)
銅亀山古墳(どうがめやまこふん)
菰山塚古墳(こもやまづかこふん)
丸保山古墳(まるほやまこふん)
長塚古墳(ながつかこふん)
旗塚古墳(はたづかこふん)
銭塚古墳(ぜにづかこふん)
履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
寺山南山古墳(てらやまみなみやまこふん)
七観音古墳(しちかんのんこふん)
いたすけ古墳
善右ヱ門山古墳(ぜんえもんやまこふん)
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
ニサンザイ古墳

それぞれの古墳の画像はこちら
仁徳天皇陵古墳墳、履中天皇陵古墳、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、反正天皇陵古墳

いたすけ古墳、永山古墳、長塚古墳、丸保山古墳、銭塚古墳

竜佐山古墳、収塚古墳、孫太夫山古墳、旗塚古墳、菰山塚古墳、寺山南山古墳、善右ヱ門山古墳

銅亀山古墳、大安寺山古墳、茶山古墳、源右衛門山古墳、塚廻古墳、七観音古墳

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古市古墳群

津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)
仲哀天皇陵古墳(ちゅうあいてんのうりょうこふん)
鉢塚古墳(はちづかこふん)
允恭天皇陵古墳(いんぎょうてんのうりょうこふん)
仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)
鍋塚古墳(なべづかこふん)
助太山古墳(すけたやまこふん)
中山塚古墳(なかやまづかこふん)
八島塚古墳(やしまづかこふん)
古室山古墳(こむろやまこふん)
大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)
応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)
誉田丸山古墳(こんだまるやまこふん)
二ツ塚古墳(ふたつづかこふん)
東馬塚古墳(ひがしうまづかこふん)
栗塚古墳(くりづかこふん)
東山古墳(ひがしやまこふん)
はざみ山古墳
墓山古墳(はかやまこふん)
野中古墳(のなかこふん)
向墓山古墳(むこうはかやまこふん)
西馬塚古墳(にしうまづかこふん)
浄元寺山古墳(じょうがんじやまこふん)
青山古墳(あおやまこふん)
峯ヶ塚古墳(みねがづかこふん)
白鳥陵古墳(はくちょうりょうこふん)

それぞれの古墳の画像はこちら
応神天皇陵古墳、仲姫命陵古墳、仲哀天皇陵古墳、允恭天皇陵古墳、墓山古墳

津堂城山古墳、古室山古墳

二ツ塚古墳、大鳥塚古墳、はざみ山古墳、峯ヶ塚古墳

鉢塚古墳、向墓山古墳、浄元寺山古墳

中山塚古墳、八島塚古墳、鍋塚古墳、東山古墳、西馬塚古墳、栗塚古墳

野中古墳、助太山古墳、東馬塚古墳

青山古墳、誉田丸山古墳

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(1)仁徳天皇陵(大仙陵古墳)


仁徳天皇陵は、百舌鳥古墳群を構成する古墳の一つで日本最大の古墳です。地名をとって大仙陵古墳とも呼ばれますが、宮内庁は被葬者を第16代天皇の仁徳天皇と考えているため、仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ))としています。

採集された円筒埴輪や須恵器から、5世紀前半に作られた古墳だと考えられています。

形状は前方後円墳で、墳丘部の全長約486m、後円部直径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mと日本最大規模で、前方部を南に向け、権力誇示のため大阪湾海上からの眺望を意識して築造されたと推察されます。

明治時代に前方部で竪穴式石室が発見され、内部を調査したところ甲冑や太刀などの武具が発見されました。これらは被葬者が武人的性質を持っていることを意味しています。

(2)応神天皇陵(誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん))

応神天皇陵は、古市古墳群で最大の古墳です。形状は前方後円墳で、墳丘部の全長約425m、後円部直経約250m、高さ約35m、前方部幅約300m、高さ約36mで全長は仁徳天皇陵より短いですが、体積は仁徳天皇陵よを上回ります。

羽曳野市誉田にあるため誉田御廟山古墳とも呼ばれますが、宮内庁は被葬者を第15代天皇の応神天皇と考えているため応神天皇陵(惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ))としています。

形状は前方後円墳で、墳丘部の全長は425mです。応神天皇陵からは円筒埴輪をはじめ、多種類の埴輪が出土しました。

発掘された円筒埴輪や須恵器の形式などから、5世紀前半に築造されたと考えられています。

(3)履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)


履中天皇陵は、墳丘部全長約365m、後円部直径約205m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの前方後円墳で、百舌鳥・古市古墳群で3位の規模を誇ります。別名にある「ミサンザイ」は陵(みささぎ)の転訛したものと考えられています。宮内庁は被葬者を第17代天皇の履中天皇と考え、履中天皇陵(百舌鳥耳原南陵)としています。

墳丘からは円筒埴輪や形象埴輪が出土し、出土品から築造年代は5世紀前半と考えられています。

百舌鳥古墳群の中で南東に位置する履中天皇陵も、大阪湾からよく見える場所につくられました。

これは、当時、朝鮮半島や中国から多くの渡来人が日本にやってきていましたが、彼らの多くは船で大阪湾に来たため、大和政権は巨大前方後円墳を大阪湾からよく見える場所に造営することで渡来人たちに権威を見せつけようとしたためと推測されます。

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(4)孫太夫山古墳

孫太夫古墳は百舌鳥古墳群のほぼ中央、仁徳天皇陵の南に位置します。形状は帆立貝形、墳丘部の全長は約65m、後円部直径約48m、後円部高さ約7.6m、前方部幅約30mと比較的小さい古墳で、仁徳天皇陵の付属墳と考えられています。

墳丘の頂から土性の勾玉が出土し、濠から小型の円筒埴輪などが出土しています。築造年代は5世紀中ごろと推定されています。

(5)いたすけ古墳

いたすけ古墳は、百舌鳥エリアのほぼ中心に位置し、墳丘部の全長は146mで百舌鳥古墳群では8番目の大きさの前方後円墳です。被葬者は現在のところ不明です。

1955年、土砂の採集と宅地造成のため取り壊されそうになりましたが、市民運動により保全が決まりました。

(6)ニサンザイ古墳

ニサンザイ古墳は、百舌鳥エリアの南東に位置する古墳です。墳丘部の全長は300m(墳丘長日本7位)の古墳です。被葬者は不明ですが、宮内庁は第18代天皇の反正天皇の陵墓である可能性があると考え、陵墓参考地(東百舌鳥陵墓参考地)としています。

ニサンザイは、ミサンザイと同様に陵(みささぎ)が転訛したものと考えられています。

墳丘の周囲に濠がめぐらされていますが、この濠には木製の橋がかけられていたことがわかっており、発掘品などから、5世紀後半の築造と考えられています。

(7)津堂城山古墳

津堂城山古墳は、古市エリアの最も北に位置する墳丘部の全長約210m、後円部直径約130m、高さ約17m、前方部幅約117m、高さ約13mの古墳です。

被葬者は不明ですが、宮内庁は第19代天皇の允恭天皇の陵墓である可能性があると考え、陵墓参考地(藤井寺陵墓参考地)としています。

発掘調査などから、築造年代は4世紀後半と考えられ、他の古墳よりも古い初期の古墳と考えられています。

1912年、後円部から竪穴式石室が発見され、石室から長持形石棺が、石棺の内部から、銅鏡や鉄製武具、腕輪、装身具、水鳥形埴輪3点などが出土しました。なお、水鳥形埴輪3点は国の重要文化財に指定されています。

(8)仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)

岡ミサンザイ古墳は、古市エリアの西に位置する墳丘部の全長約245m、後円部高さ約19.5mの古墳です。正確な被葬者は不明ですが、宮内庁は被葬者を第14代天皇の仲哀天皇と考え、仲哀天皇陵(恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ))としています。

築造年代は諸説あり、4世紀後半から5世紀後半と考えられています。

被葬者に仮定されている仲哀天皇は実在していない説があり、その場合は21代天皇の雄略天皇の陵墓である可能性が指摘されています。

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3.百舌鳥古市古墳群にある古墳の4型式

(1)方墳

「方」は四角という意味で、文字通り四角い形をした古墳です。古墳時代を通じてつくられるタイプの古墳で、古墳時代後期には大王墓の形式も方墳を採用することが増えました。

(2)円墳

円形の古墳で、造営数は最も多いと考えられ、一般的な古墳といえます。

(3)帆立貝型古墳

前方後円墳の一種で、「前方部」が比較的小さいものを帆立貝型古墳といいます。古墳時代中期に多くつくられました。

(4)前方後円墳

方墳と円墳をつなげた形で、上空から見るとまるで鍵穴のように見える古墳です。仁徳天皇陵をはじめ、百舌鳥・古市古墳群にある巨大古墳は前方後円墳です。前方後円墳は日本や朝鮮半島南部にみられる独特な形の古墳です。

古墳の歴史、古墳の内部、埴輪の種類の詳細はこちら⇒古墳時代の時代区分 古墳、埴輪の種類・特徴

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