世界遺産_厳島神社
1.登録基準
厳島神社は世界遺産リストに「厳島神社」という名前で登録されています。
世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。
厳島神社は登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ、ⅵを満たし、世界遺産リストに登録されました。
基準 ⅰ.(人類の創造的才能を表現する傑作)の適用について
厳島神社は、12世紀に時の権力者である平清盛によって、現在見られる壮麗な社殿群の基本が形成されました。その構成は、平安時代の寝殿造り(しんでんづくり)の様式を取り入れた優れた建築景観をなしています。また、海上に立地し、背景の山容と一体となった景観は平清盛の卓越した発想によるものであり、他に比類がありません。
この点が登録基準ⅰ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅱ.(人類の価値観の交流があったことを示すもの)の適用について
日本には自然を崇拝して山などの風景と建造物を一体としてとらえるという社殿建築の価値観があります。厳島神社の社殿群は、その一般的な社殿建築が発展した形式の一つです。背後に山を控え、前面が海に面する建造物群の景観は、その後の日本人の美意識の基準となった作品であり、日本人の精神文化を理解するうえで重要な資産となっています。
この点が登録基準ⅱ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅳ.(時代を表す建築物や景観の見本となるもの) の適用について
厳島神社の本社幣殿(へいでん)、拝殿(はいでん)、祓殿(はらいでん)、摂社客神社(せっしゃ まろうどじんじゃ)の本殿、幣殿、拝殿、祓殿は13世紀に建造されました。これらの建造物群は造営された鎌倉時代の様式をよく残しています。また、創建当時の様式を重んじた正確な再建により、平安時代当初の建造物の面影を現代に伝える稀有な例となっています。
この点が登録基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅵ.(大きな出来事、伝統、宗教、芸術作品などと深い関わりのあるもの) の適用について
厳島神社は、日本古来の自然崇拝を基本とした神道の施設で、日本独特の自然崇拝の思想に基づく自然と一体となった神社建築設計を理解するうえで重要な根拠となるものです。
この点が登録基準ⅵ.に該当するとして、評価されました。
2.遺産価値総論
厳島神社の遺産価値は「現代に残る古代神社建築の特徴と高い芸術性」です。
(1)現代にまで伝わる古代神社建築の特徴
厳島神社は1168年に平清盛によって造営されました。その大きな特徴の一つが「寝殿造り(しんでんづくり)」です。寝殿造りとは平安時代に栄えた貴族階級の住宅建築様式で、神社建築様式には存在していませんでしたが、厳島神社の造営にあたって平清盛が神社建築に取り入れました。その特徴は敷地の中央に寝殿と呼ばれる中心的な建物、その東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡り廊下でつなぎ、対称形の配置を基本とするものです。厳島神社においてもその寝殿造りの特徴が巧みに取り入れられており、渡り廊下が効果的に使われています。
また、本社本殿と客神社本殿には「両流造(りょうながれづくり)」という建築様式が用いられています。これは神社において、切妻屋根・平入(※1)の入口側のみ屋根が延ばされる流造(ながれづくり)(※2)が両側にある様式で、入口と反対側の屋根も延ばされています。
幾度か再建をしていますが、その際に過去の造詣が重んじられたため、造営された平安時代の特徴を今なお良く残しています。
※1 切妻屋根・平入とは
切妻屋根とは2枚の傾斜面のみで屋根を作ったような形状です。横から見た場合にカタカナの「ハ」の字の上側をくっつけたような形状です。
建物の各面の呼び名として、長辺側(屋根が四角く見える側)を「平(ひら)」と言い、短辺側(「ハ」の字が見える側)を「妻(つま)」と言います。
画像:Wikipedia
※2 流造とは
流造は切妻屋根を妻側から見たときの「ハ」の字が「へ」の字になったような屋根で、片側の屋根が長くなっています。両流造は、この長辺が両側についている屋根です。
・流造(宇治上神社)
画像:古墳のある町並みから
・両流造(厳島神社)
画像:厳島神社・御朱印
(2)芸術性の高さ
厳島神社は日本三景「安芸の宮島(あきのみやじま)」としても知られる日本有数の景勝地です。御神山である瀰山(みせん)(「弥山」と書くこともあります)を背景に、海上に朱塗りの大鳥居があり、海際には神社建築物群が位置しています。その景観は他に類を見ない独特のもので、潮の干満、日光の加減などにより様々に姿を変える様も芸術的に優れたものとして認識されています。
3.歴史
(1)創建
593年 佐伯鞍職(さえきのくらもと)により創建(と伝えられていまする)
811年 文献での初出
(「『伊都岐嶋神(いつきしまのかみ)』が名神に列せられる」(日本後記))
社伝によると、厳島神社の創建は593年、当時この地方の有力豪族であった佐伯鞍職によるものとされています。古来より人々から信仰の対象として崇められてきた厳島は、ご神体としてあがめられていたためか島から離れた場所から拝むことにより信仰されていました。そして信仰が深まり信者が増えるにつれ、近くで拝みたいと思う人が増えたためか次第に近づいていき、島の水際にも社殿が形成されていったものと考えられています。
(2)平清盛による造営
1168年 平清盛の後援により神主・佐伯景弘(さえき の かげひろ)により造営
現在の社殿群の規模、配置の基準となる。
1207年 火災で炎上
1215年 再興
1223年 再び焼失
1241年 再興
厳島神社が現在見られるような規模、配置となったのは、平安時代の権力者・平清盛の造営によるものです。清盛は戦での戦功や政界での昇進を厳島神社の信仰の賜物と考え、神社への崇敬をますます深めました。そこで清盛は当時の神主・佐伯景弘と共に社殿の造営を行い、現在の社殿群の基礎となる建造物を造営しました。
鎌倉時代に入ると、厳島神社は二度大きな火災と再興を経ます。1241年の二度目の再興時に造営された社殿群が、現在残っている主要な建造物群です。
(3)その後の造営・補修・再建など
1407年 五重塔 建立
1430~1433年 摂社 客神社 改修
1441年 末社 荒胡子神社(あらえびすじんじゃ)本殿 再建
1523年 多宝塔 建立
1523年 摂社 大元神社(おおもとじんじゃ)本殿 再建
1547年 大鳥居 再興 控え柱を持つ両部鳥居(りょうぶとりい)となる
1556年 摂社 天神社(てんじんじゃ)本殿 建設
1571年 本社本殿 再建
1587年 末社 豊国(ほうこく)神社本殿(千畳閣(せんじょうかく)) 造営
1875年 大鳥居 再興
元来、厳島神社は海上に建つという立地条件のため、しばしば風水害を受けました。平清盛による造営後は、社殿群の規模が大きくなったこともあり、神社全体を一時期に造替することが困難となります。そのため、補修や再建は部分的に、その都度行われるようになりました。
また、時代ごとの権力者の崇敬を集めた厳島神社は従来の社殿以外に新たな建造物も付け加えられ、現在のような景観が形成されていきました。
(4)厳島の庶民化
室町時代後期 市街地が発達
江戸時代中期 日本三景の一つに
厳島は瀬戸内海の商業・交通にとって重要な土地であり、室町時代後期には島内で市街地が発達しました。また瀰山山頂付近の寺院信仰も盛んで、参詣の人々も多く訪れました。これらの理由により、厳島は次第に一般民衆にとっても開放的な島となります。
多くの人が訪れるようになると、瀰山を背景とし海岸から海上へと展開する厳島神社の独特な景観は景勝地として評判を集め、江戸時代中期には日本三景の一つとして賞賛されるようになりました。
(5)厳島神社の保護
1899~1910年 主要建築物が特別保護建造物に指定
1901~1919年 国庫保護金による保存修理工事の実施
1923年 厳島全島と神社前面の海域が史蹟及び名勝に指定
1949年 摂社 大元神社本殿、宝蔵が国宝に指定
1950年 全島が瀬戸内海国立公園に指定
明治時代に入ると、日本では文化財保護思想が高まり、1897年に「古社寺保存法」が制定、1929年には「国宝保存法」、1950年には「文化財保護法」として制定されました。また、自然保護に関しても1931年に「国立公園法」が制定、1957年には「自然公園法」となりました。
こういった文化財保護、自然保護の機運の高まりに伴い、厳島神社の主要建築物は国宝や重要文化財に、厳島全島と神社前面の海域は国立公園あるいは天然記念物、特別保護地区に指定され、国による保護がされています。
4.構成資産の概要
厳島神社の構成資産は厳島神社の建造物群と、それと一体となって資産の価値を形成している背後の瀰山を中心とする森林の区域です。以下にそれぞれの詳細を記載します。
(1)建造物群
①本社
本社は厳島神社の中心建物で海上に展開する社殿群の中核をなしています。本社には市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の宗像三女神(むなかたさんじょじん)が祀られています。
本殿(ほんでん)、拝殿(はいでん)、幣殿(へいでん)、祓殿(はらいでん)などからなり、平安時代の特徴をよく残しています。
本社の各建物は海中の大鳥居に向かって、本殿、幣殿、拝殿、祓殿の順で直線状に並んでいます(祓殿が海側)。
本殿、拝殿は横長の建物でその間に幣殿が建っており、この3つの建物はH字型の一棟の建物となっています。
また、祓殿とも屋根が繋がっており、全体が一連の屋根の下に覆われています。
建造物の特徴としては、前述の「両流造り」の他、寝殿造りの特徴である檜皮葺(ひわだぶき)の屋根、一般的な神社建築で見られる千木(ちぎ)、鰹木(かつおぎ)がないことなどが挙げられます。
このように本社には一般的な神社建築とは異なっていることや、太くたくましい柱や組物などを使った堅固な組み立てと伸び伸びと広がり美しい曲線を持った屋根などの優雅さが混在する平安時代の特徴が現れていることなどが挙げられます。
ⅰ)本殿
本殿は宗像三女神を祀る神殿です。1569年に起きた流血事件で汚されたとして、1571年に毛利輝元によって再建されました。
ⅱ)拝殿
拝殿は神霊を礼拝するための建物です。内部は各柱筋に柱が立ち並び(1間ごとに規則的に柱が立っていること)、逆W字形の天井をかけています。1223年の火災で焼失したのち、1241年に再建されました。
ⅲ)幣殿
幣殿は本殿と拝殿の間を繋ぐ建物です。
ⅳ)祓殿
祓殿は祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所です。拝殿と同じく1223年に火災で焼失、1241年に再建されました。
②摂社 客神社(せっしゃ まろうどじんじゃ)
摂社 客神社は本社建造物群の東北方向にある神社です。客神社には天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、熊野橡樟日命(くまのくすびのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)の5柱の神様が祀られています。
本社と同様、本殿、拝殿、幣殿、祓殿の建物がありますが、大きさは本社建造物群より一回り小さくなっています。こちらも本殿、幣殿、拝殿、祓殿の順で直線状に建っており、本社の社殿群の軸線に対して直角方向に並んでおり、本社は北側を正面、客神社は西側を正面としています。
様式的な特徴も両流造や、本殿、幣殿、拝殿が一棟の建物になっている点など本社と同じく、平安時代の特徴をよく残した建物となっています。
ⅰ)本殿
本殿は上記5柱の神様を祀る神殿です。1223年の火災で焼失後、1241年に再建され、1433年に改修されました。
ⅱ)拝殿
拝殿は神霊を礼拝するための建物です。本殿同様、1223年に焼失後、1241年に再建、1433年に改修されました。
ⅲ)幣殿
本社幣殿と同様、摂社客神社幣殿は摂社客神社本殿と拝殿の間を繋ぐ建物です。
ⅳ)祓殿
祓殿は祭礼に際し、祭の参加者のお祓いをする場所です。本殿、拝殿と同様、1223年焼失、1241年に再建、1433年に改修されました。
③廻廊(かいろう)
廻廊は本社祓殿から拝殿を囲むように屈曲し、陸地まで伸びる屋根付きの廊下です。厳島神社において、本社本殿を「寝殿」とした時に廻廊は「渡り廊下」の役割を果たす寝殿造りの主要素であり、その総長は275mにも及びます。
東廻廊、西廻廊があり、それぞれ本社祓殿から北東の陸地、西の陸地を結んでいます。東廻廊、西廻廊とも16世紀後半に再建されたものとされています。
回廊の特徴としては、床板と床板の間に隙間が空いていること、釘が使われていないことが挙げられます。これは潮位の変わる潮や鉄を錆びさせる海風・波に対する工夫です。また、海水に浸かっているという環境から、回廊の柱は劣化が早いため、その損傷が激しい箇所のみ柱の脚材を交換する「根継ぎ(ねつぎ)」という技法が採られています。
④朝座屋(あさざや)
神官が朝の祭儀の前に参集する殿社です。1168年の大造営の際に「朝坐屋」の記述が見つかったことから1168年以前の建築であることが判明しています。建築様式は平安時代のもので、現在見ることの出来る姿は江戸時代に再建されたものです。
⑤能舞台(のうぶたい)
能舞台は神霊に奉納する能を演じるための舞台です。1680年に建築され、1827年に改修されました。西廻廊の先端に位置し、日本唯一の「海上にある能舞台」として重要文化財にも指定されています。
⑥橋
構成資産の建造物群には廻廊と陸地を結ぶ橋が3箇所あります。
ⅰ)揚水橋(あげみずばし)
東回廊と南の陸地を結んでいる木造の橋です。途中にある張り出しは、昔ここから海水を汲んだ名残となっています。
ⅱ)長橋(ながばし)
西回廊と南の陸地を結んでいる木造の橋です。以前はこの橋を通って神に供える神饌(しんせん)(お供え物)を運んでいました。
ⅲ)反橋(そりばし)
西回廊と南の陸地を結んでいる木造の橋です。大きな弧を描き、朱塗りの高欄を設けています。
⑦大鳥居
大鳥居は厳島神社のシンボルとも言える海中に建つ巨大な木造の鳥居です。高さ16m、主柱の周囲は約10m、屋根は檜皮葺、4本の控柱がある両部鳥居(りょうぶとりい)です。
木造鳥居としては日本最大の大きさで、「日本三大鳥居」もしくは「日本三大木造鳥居」の一つに数えられています。
創建時の形や規模は判明していませんが、現在の大鳥居は1875年に再建されたもので、平安時代から数えて8代目の大鳥居となっています。
⑧摂社 大国神社(おおくにじんじゃ)本殿
大国神社本殿は大国主命(おおくにのぬしのみこと)を祀っている神殿です。切妻造り、妻入りの建物で16世紀後半に再建されたものです。
⑨摂社 天神社(てんじんじゃ)本殿
天神社本殿は菅原道真(すがわらのみちざね)公を祀っている神殿です。1556年創建の入母屋造り、妻入りで住宅風の建築をした建物です。
⑩五重塔
五重塔は1407年創建の高さ約27mの檜皮葺屋根の塔です。反りの強い軒や、尖った尾垂木は禅宗様の影響を受けています。「禅宗様」とは寺院建築様式の一つで13世紀後半から盛んになった中国の建築様式です。屋根が上に反りあがった「軒反り」なども禅宗様の特徴です。
⑪多宝塔
多宝塔は1523年創建のこけら葺屋根の塔です。上層の平面は円形につくられており、外観には和様、内装の装飾などに大仏様、禅宗様の建築様式が確認できます。
⑫末社 荒胡子神社(あらえびすじんじゃ)本殿
荒胡子神社本殿は素盞鳴(すさのお)神を祀る神殿です。漆塗の小社殿で1441年に再建されました。
⑬末社 豊国神社(とよくにじんじゃ)本殿(千畳閣(せんじょうかく))本殿
豊国神社本殿は豊臣秀吉が僧の恵瓊(えけい)に建立を命じた本瓦葺の巨大建築です。857畳の大広間を持つことから千畳閣とも呼ばれています。軒先瓦に金箔が押してあり、天井や周囲の柱間装置は未完成のままです。1587年に創建されました。
⑭摂社 大元神社本殿(おおもとじんじゃ)
大元神社本殿は大山祇(おおやまづみ)神を祀る神殿です。特殊な形式のこけら葺で有名で、1523年に再建されました。
⑯宝蔵
宝蔵は神宝を収蔵する蔵です。高床式で、五角形断面の横材を組んで壁体を積み上げています。
(2)瀰山原始林(みせんげんしりん)
瀰山原始林は1929年に天然記念物に指定され、1957年には特別保護区となりました。古代より御神体として崇められてきた山で、貴重な植生を残す自然林でもあることから、厳島にとって非常に重要な自然環境となっています。
また、山内には「消えずの霊火(れいか)」というものが残っています。これは空海が宮島で修業した際に焚かれた護摩(ごま)の火がおよそ1200年燃え続けているという霊火で、信仰の山である瀰山の歴史を伝えています。
【参考書籍】
すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)
【参考HP】