世界遺産_白神山地の魅力 世界遺産登録理由
1.登録基準
青森県・秋田県にまたがる白神山地(しらかみさんち)は世界遺産リストに「白神山地」という名前で登録されています。
世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。
白神山地は登録基準ⅸを満たし、世界遺産リストに登録されました。
基準 ⅸ.(動植物の生態系の進化や発達を示す見本となるもの)の適用について
白神山地は古代からのブナの森林の生態系が残る貴重な自然遺産です。
白神山地には8000年以上前からほとんど人の手が加わっていないブナの原生林があります。
このブナは日本の固有種(※1)であり、日本国内で白神山地ほど大規模なブナの原生林は他にありません。また、ブナを主とした大規模な原生林(※2)は地球的に見ても貴重であり、その生態系はブナの森林の生態系を研究するうえで非常に重要です。
この点が登録基準ⅸ.に該当するとして、評価されました。
※1 固有種:その地域にしか存在しない種。
※2 原生林:人の手がほとんど加わっていない森林。
2.遺産価値総論
白神山地の遺産価値は「ブナを中心とした豊かな古代の森林の特徴を持つ大規模な原生林であること」です。
白神山地には3点の特筆すべき特徴があり、これらの特徴が白神山地の遺産価値となっています。
1点目はブナを中心とした豊かな森林を形成すること、2点目は古代のブナの森林の植生(※3)が残っていること、3点目はそのブナの森林が大規模な原生林であることです。
※3 植生:ある場所に生息する植物の集団。
(1)ブナを中心とした豊かな森林
白神山地では他の日本のブナの森林と同様にブナを中心とした森林が形成されています。日本のブナの森林に生息する植物は他に比べて、多様性に富んでいます。
ブナは世界に12種類存在していますが、ブナを中心とした森林を形成するのは日本とヨーロッパにある2種類のみとされています。その2種類においても、それぞれのブナの森林では特徴が異なります。(詳細は「6.その他 (2)世界のブナとの比較」参照) 。
特に、生息する植物の種類に大きな差があり、日本のブナの森林はヨーロッパのブナの森林の5~6倍も植物の種類が多くなっています。
このように白神山地では、ブナを中心としながら植物多様性に富んだ豊かなブナの森林が形成されています。
(2)古代のブナの森林の特徴が残る日本のブナの森林
日本のブナの森林は古代のブナの森林の特徴を残しています。
ブナは北半球の中緯度地域にのみ存在する落葉広葉樹(※4)です。
ブナを含んだ大規模な森林はヨーロッパ、東アジア、北アメリカの3地域のみにしかありません。しかし、ヨーロッパ、北アメリカについては、氷河期に多くの植物が絶滅してしまったため、ブナの森林の植生が古代のものより単純なものになってしまいました。
日本のブナの森林は氷河期に暖かい地域に避難出来たため、古代のブナの森林の植生がそこまで変わらずに残りました。そのため、日本のブナの森林は古代のブナの森林の特徴を残しています。(詳細は「6.その他 (1)ブナの歴史」参照)
※4 落葉広葉樹:冬に葉を落とす樹木。温帯を代表する樹木。
(3)東アジア最大のブナの原生林
白神山地の大きな特徴は原生林であること、つまり人の手がほとんど加えられていないことです。
人口密度が高く、長い間人間が居住してきた日本において、ほとんど人の手が加えられていない地域というのは稀です。
白神山地は世界遺産登録範囲の約17,000haという広大な範囲において、歩道を始めとした人工構造物がありません。この広さは、ブナの原生林では東アジアの中で最大です。白神山地に人の手が加わらなかったのは、白神山地が集落から離れていたことや、地形が急峻だったことなどが理由とされています。
このように白神山地には東アジア最大の貴重なブナの原生林が存在しています。
白神山地には古代から続くブナを中心とした豊かで広大なブナの森林があり、それがほとんど人の手を加えられずに現在まで受け継がれています。古代の森林の様子を現代に伝える遺産、それが白神山地なのです。
3.資産の概要
白神山地というのは青森県南西部と秋田県北西部にまたがる標高200mから1250mの山岳地帯の総称です。
資産として登録されている地域は、この白神山地の中心部に位置する16,971haで、全域が林野庁管轄の国有林となっています。
登録地は管理上の目的から核心地域と緩衝地域(※5)に区分されています。核心地域は10,139haで、緩衝地域は核心地域を取り巻く6,832haです。
※5 核心地域は原生的な自然を保全することに主眼を置いた地域。
緩衝地域は人の利用も視野に入れつつ保全を図る地域。
座標位置
・北緯 40度22分~40度32分
・東経 140度02分~140度12分
4.自然環境
白神山地の自然環境は人間が活動を行うには厳しいもので、自然のままの姿を残す要因となりました。
(1)気候
白神山地の気候は寒く、降雪量が多いです。
年間平均気温は9℃以下と1年を通じて寒いです。また、降水・降雪量が多く、冬季は日本でも有数の多雪地帯となり、2.5~4m近くの雪が積もります。
(2)地層
白神山地の地層は崩れやすい地層になっています。
白神山地一帯は約258万年前まで一部が海域にありました。その後、年間約1.3mmという日本列島の中でも極めて速い速度の隆起により、白神山地が形成されました。
隆起は現在も続いていますが、隆起した地層の上部には海底で堆積した堆積岩が見られます。堆積岩は崩れやすい特徴があるため、白神山地一帯は崩れやすい地層となっています。
(3)地形
白神山地の地形は非常に急峻です。
白神山地は降水量が多いため、多量の水分を土壌に含んでいます。これに加え堆積岩による崩れやすい地層があるため、地滑り(※6)が起こりやすくなっています。この地滑りにより、白神山地一帯には数多くの河川や谷が刻み込まれています。
また、地滑りは山地崩落(※6)にもつながります。
白神山地は隆起と地滑り、山地崩落を繰り返すことによって、斜度30度以上の急傾斜地が半分以上を占める急峻な地形となっています。
※6 地滑りと山地崩落について
地滑りは勾配の緩い山の斜面に沿って、ゆっくり地面が滑っていくこと。
山地崩落は短時間で急勾配の山の斜面が崩壊すること。
このように白神山地は、雪が非常に多く急峻な地形のため、人が活動を行うには厳しい環境となっています。しかし、そのおかげで現在まで手つかずの自然が残されてきました。
5.生物・生態系
白神山地の生物・生態系は、遺産価値である「豊かな古代ブナ林の原生林の特徴」をよく表しています。
(1)生態系
白神山地の生態系はブナを中心とした豊かな森林の極相林(きょくそうりん)の生態系であり、とても豊かな生態系が古代から現在まで受け継がれています。
①ブナを中心とした豊かな森林の生態系
ブナを中心とした豊かな森林の生態系は、多様な植物を中心として、多様な動物、栄養豊富な土壌によって多くの生物を育んでいます。
ブナを中心とした多くの植物は、多くの動物に餌やねぐらを提供します。多くの動物はさらに大きな動物の餌となったり、土に還った動物の死骸は土壌の肥料になったりします。
また、冬季にブナが落とした葉も土に分解されて、豊富な栄養分を蓄えた腐葉土(ふようど)を形成します。栄養豊富な土壌は多様な植物を育てることに繋がります。
こうして、白神山地ではブナの森林を中心に豊かな生態系が築かれています。
②極相林
極相林とは、森林の構成が大きく変わらなくなった状態の森林のことです。
森林が出来るまでは、まず背の低い木が育ち、それから日光を受けて成長する背の高い陽樹が育ち、その後に日光を必要とせずに成長する背の高い陰樹が育ちます。そして陰樹が育ち切ると、その森林はほぼ平衡状態となります。この極相林になるには数百年単位の時間が必要です。
白神山地は陰樹であるブナが主となった森林となっているため、極相林の状態です。しかも極相林になってからも数千年の時間が経過しています。その間に多くの動植物を育み、今の白神山地の豊かな生態系を築いています。
白神山地は8000年以上前から人の手がほとんど加えられていない貴重で大規模なブナの森林です。そのブナの森林は極相林ですが、森林に全く変化が起こらなくなるということはなく、現在も古代からの森林の変化の過程を示し続けていると言えます。
白神山地はブナの森林の生態系を調査する上で非常に重要な森林です。
(2)植物
白神山地の植物は古代からの日本のブナの森林の特徴を持っています。
日本のブナの森林の特徴はブナを中心としながらも多様な植物が生息していることです。背の高い樹木で言えば、ブナが主体ですが、ミズナラやサワグルミといった落葉広葉樹も生えています。下層部では雪に強いチシマザサという種類のササが多くなります。
白神山地は日本のブナの森林の特徴の他、古代からの原生林と言うこともあり古くから存在してきた植物が存在するという特徴もあります。
希少種としては白神山地の遺存固有(※7)であるアオモリマンテマ、ツガルミセバヤ、ミツモリミミナグサが存在しています。
また、新固有(※7)として、オガタチイチゴツナギと言う種が存在しており、この種は今なお進化の途上であると考えられており、種の進化を究明するうえで重要な植物です。
このように白神山地の植物は古代からの豊かなブナの森林の植物が生息しています。
※7 遺存固有と新固有について
遺存固有:環境の変化などによって特定の地域に取り残され、進化せずに生き残っている種
新固有:ある地域に取り残され、その環境に合わせて進化した種
(3)動物
白神山地には豊かなブナの森林の恩恵を受け多様な動物が生息しています。
ブナの葉や種子であるドングリは昆虫や動物にとっての餌となり、枯れて空洞になったブナの樹は様々な動物のねぐらにもなります。
この様に、多くの動物にとって暮らしやすいブナの森林には様々な昆虫・哺乳類・鳥類が存在しています。
①昆虫
ブナの森林には多くの昆虫が生息していますが、白神山地には特に多くの昆虫が生息しています。白神山地にはブナをはじめとした高木の天然林だけでなく、豊かな水量を含んだ土壌や川と、変化に富んだ植生があり、昆虫にとって棲みやすい環境を提供しています。
氷河期からの遺存種であるムカシトンボやトワダカワゲラ、希少種のキタゲンゴロウモドキが生息する他、新種の可能性の高い昆虫や、ここでしかほとんど見られない昆虫類が約150種も生息しています。
②哺乳類
哺乳類も豊富なブナの森林を背景に多くの種が生息しています。
東北地方に棲む哺乳類の内、多雪地帯のために生息できないニホンジカ、イノシシ以外はすべて生息しているとされています。特別天然記念物のニホンカモシカを始め、ニホンザルやツキノワグマなどが確認されています。
③鳥類
鳥類も実に多くの種が存在しています。
ブナ林を背景にした鳥類の代表としてはクマゲラが挙げられます。クマゲラはブナの木に巣穴を作るキツツキの一種で絶滅が危惧される天然記念物です。
クマゲラはブナの生木に巣穴をつくるだけではなく、ブナの半枯死木は、ねぐら木として、ブナの枯死木は採餌木として活用しています。また、クマゲラの生活圏には数百ha以上が必要とされており、クマゲラが生息していることは白神山地が広大で良質なブナ林であることの証明にもなっています。
なお、イヌワシやクマタカといった広大な自然を必要とする絶滅危惧種の生息が確認されていることは、白神山地が人為的影響の少ない原生林であることを示しています。
このように白神山地には、豊かなブナの原生林を背景として、多くの動物が生息しています。
6.その他
(1)ブナの歴史
白神山地のブナの森林は古代のブナの森林の植生を持っているとされています。
それでは海外の他の地域のブナにおいて、その特徴はないのでしょうか?
また、日本になぜ古代のブナの森林の植生が残っているのでしょうか?
ブナの歴史と共に説明していきます。
ブナは3000万年以上前から存在していたとされています。
その頃の地球は温暖であり、ブナの森林は北極周辺の一部に存在するのみでした。
その後、地球の寒冷化に伴いブナ林の生息地は南下し始め、温帯の北部に優先的に生息するようになります。その際、乾燥地域によって隔てられ、東アジア、ヨーロッパ、北アメリカと言った現在に近い分布になりました。
およそ200万年前になると、地球に本格的な氷河期が訪れます。この際、ヨーロッパや北アメリカでは大陸氷河が発達し、多くの植物が絶滅してしまいました。
ブナの森林は南下して逃れようとしますが、アルプス山脈やアパラチア山脈などの大規模な山岳地帯が壁となってしまい南下ができませんでした。
ブナの森林の内、新しい場所に速やかに進出できるブナのみは南下できたのですが、それ以外の植物の多くは絶滅してしまったのです。
その結果、豊かであったヨーロッパや北アメリカのブナの森林の植生は単純なものになってしまいました。
日本では、幸運なことに植物の南下を妨げる山岳はなく、豊かなブナの森林の植生を残しながら日本の南部に避難していました。
その後、約2万年前頃には氷河期が終わり、地球が温暖になり気温が上昇したために約12,000~8,000年前頃には日本のブナの森林はほぼ現在の日本の分布位置まで広がりました。
その結果、日本に残るブナの森林は約3,000万年前の北極周辺の植生に近いまま現在まで残っているのです。白神山地については約12,000~8,000年前頃から現在地に分布しており、8000年以上の歴史があるとされています。
つまり、日本のブナの森林は昔と同じ豊かな植物相を持っていますが、それ以外の地域のブナの森林は日本に比べて単純な植物相しかありません。
日本のブナの森林、特に手の付けられていない原生林というのは地球的に見ても貴重なものなのです。
(2)世界のブナとの比較
世界には12種のブナが存在します。日本のブナはブナを中心とした森林を形成しますが、他のブナはどうでしょうか?
まず世界のブナを紹介します。(名前の後の()は学名、[]は分布箇所を示す。)
・ブナ(Fagus cretana)[日本](※8) |
・イヌブナ(Fagus japonica)[日本](※8) |
・タケシマブナ(Fagus multiner)[韓国] |
・タイワンブナ(Fagus hayatae)[台湾] |
・ナガエブナ(Fagus longipetiolata)[中国] |
・シナブナ(Fagus engleriana)[中国] |
・テリハブナ(Fagus lucida)[中国] |
・パサンブナ(Fagus pashanica)[中国] |
・ヨーロッパブナ(Fagus sylvatica)[ヨーロッパ] |
・オリエントブナ(Fagus orientals)[紅海~カスピ海周辺] |
・アメリカブナ(Fagus grandiforia)[北アメリカ] |
・メキシコブナ(Fagus Mexicana)[メキシコ] |
※8 ブナをシロブナ、イヌブナをクロブナと言うこともあります。
日本のブナにはブナ(シロブナ)とイヌブナ(クロブナ)の2種類ありますが、ブナを中心とした森林を形成するのはブナ(シロブナ)のみです。白神山地のブナの森林はブナ(シロブナ)の原生林です。
ブナ(シロブナ)はブナを中心とした森林を形成しますが、イヌブナ(クロブナ)は他の落葉広葉樹も多く混在した森林を形成します。
これらの違いは気候、特に積雪量によるものと考えられています。
ブナ(シロブナ)は主に日本海側、イヌブナ(クロブナ)は主に太平洋側に分布しています。
日本海側は冬季の積雪量が多く、積雪に強いブナ(シロブナ)が主となった森林を形成します。太平洋側は積雪量が少なく乾燥するため、乾燥に強いイヌブナ(クロブナ)やブナ以外の樹木も混在した森林が形成されます。
アメリカブナはブナではなくカエデなどのブナ以外の落葉広葉樹を中心とした森林にブナが生えています。日本のブナの森林におけるミズナラのような存在であると言えるでしょう。メキシコブナについても他の樹木と混在した森林を形成すると言われています。
ヨーロッパブナに関しては日本と同様、ブナを中心とした森林を形成します。しかし、その植生が単純であることなどから、日本のブナの森林とは異なる傾向を持っています。
また、産業革命の際に多くの森林が伐採されてしまい、ほとんどが原生林ではなくなってしまっています。
コーカサスブナについてはイヌブナと似ており、他の落葉樹が混在した森林を形成します。
中国のブナは4種類ありますが、そのほとんどが中国南部に位置しています。
中国ではこれら4種類のブナが混在して生えており、他の樹木についても暖温帯や亜熱帯に生息する常緑広葉樹などが生えています。
様々な樹木が混在した森林を形成するという意味では日本のイヌブナに近いですが、複数のブナが混在している点、また常緑広葉樹も混在している点などは日本のイヌブナとは異なっています。
タイワンブナは、イヌブナと同様、他の樹木と混在した森林を形成します。
タケシマブナについては詳細なことはわかっていませんが、分布域が非常に狭いこと、イヌブナと似た種であるということがわかっています。
このようにブナを中心とした森林を形成し、かつ植生が多様で大規模なブナの森林は他にはなく、白神山地の原生林は世界的にも貴重なものです。
[参考HP]