世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物群
1.世界遺産登録基準
法隆寺は世界遺産リストに「法隆寺地域の仏教建造物群」という名前で登録されています。
世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。
法隆寺地域の仏教建造物群は登録基準ⅰ、ⅱ、ⅳ、ⅵを満たし、世界遺産リストに登録されました。
基準 ⅰ.(人類の創造的才能を表現する傑作)の適用について
法隆寺地区の仏教建造物群は伽藍(がらん)構成、装飾ともに木造建築の傑作です。特にエンタシスの柱や雲形組物(くもがたくみもの)といった建築様式にはそれがよく現れています。
この点が基準ⅰ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅱ.(人類の価値観の交流があったことを示すもの)の適用について
構成資産は日本に仏教が伝えられてからすぐ後の建造物であり、その後の日本の宗教建築に大きな影響を及ぼしました。例えば7~8世紀に出来た法隆寺西院(さいいん)からは中国の北魏(ほくぎ)時代の影響が確認でき、大陸との文化の交流があったことがわかります。
この点が基準ⅱ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅳ.(時代を表す建築物や景観の見本となるもの) の適用について
法隆寺のモニュメントは、中国の仏教建築、伽藍構成が日本文化に適応し、独自の発展を遂げた様子を表しています。これは構成資産内に7世紀に建造されたものから18世紀以降に建造されたものまでがあり、約1000年以上の仏教建造物群の建築様式の変遷が確認できるからです。
この点が基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。
基準 ⅵ.(大きな出来事、伝統、宗教などと深い関わりのあるもの)の適用について
聖徳太子による仏教導入・推進は日本における仏教普及において重要な出来事です。構成資産の仏教建造物群は聖徳太子にゆかりが深く、仏教普及の歴史を今に伝えています。
この点が基準ⅵ.に該当するとして、評価されました。
2.法隆寺地域の仏教建造物群の遺産価値総論
法隆寺地域の仏教建造物群の遺産価値は「世界最古の仏教の木造建造物であること」です。ポイントに分けて説明します。
(1)世界最古の木造建築
構成資産である法隆寺の金堂(こんどう)、五重塔(ごじゅうのとう)、中門(ちゅうもん)、回廊(かいろう)の建造は西暦680~710年頃とされています。また、法起寺(ほっきじ あるいは ほうきじ)※1の三重塔(さんじゅうのとう)については706年の建立であることがわかっています。この時期に建てられ現存している木造建築物は他になく、世界最古の木造建造物として有名です。
※1:法起寺の読み方についてはUNESCOのHPにはHokki-ji(ほっきじ)と書かれていますが、奈良観光のサイト「奈良観光JP」には「法起寺には『ほうきじ』『ほっきじ』2種類の読み方があるが、世界遺産登録時に法隆寺の『ほう』と一貫性を合わせるため『ほうきじ』が正式な読み方とされました。」とあります。
(2)独特な建築様式
法隆寺にはその後の建築様式には見られない独特な特徴が見られます。これは飛鳥時代の特徴、ひいては伝来元である中国の北魏時代の特徴でもあります。特に下記の2つは有名です。その主な特徴を挙げていきます。
①エンタシスの柱
エンタシスの柱は法隆寺の金堂、中門などに見られる中央部が膨らむように造られている柱です。この手法はギリシャのパルテノン神殿の柱にも見られます。(ただし、パルテノン神殿の柱は中央部ではなく上部から下部に向かって膨らんでいるため、見た目の印象は異なります。)
目的は、下から建物を見た際に柱の太さが一定になるようにするため、と言われています。法隆寺に見られるエンタシスの柱はギリシャから中国を経て日本に文化が伝わったという東西交流の証ともされています。
画像:法隆寺 回廊
②雲形組物(くもがたくみもの)
法隆寺の金堂、五重塔、法起寺の三重塔の柱と屋根の間には複雑な雲の形をした「雲形組物」が使用されています。組物というのは、仏教建築において大きく張り出した屋根を支えるために使われる構造です。組物には屋根の重さを支える斗(ます)と、斗を外側に送り出す肘木(ひじき)があります。法隆寺ではそれらが雲斗(くもます)、雲肘木(くもひじき)と呼ばれる雲形の形状をしており、この時代以降の建築物では見られない独特の形状です。
(3)仏教建築の変遷
法隆寺の建造物群には前述のエンタシスの柱といった貴重な古代の建築様式が見られるだけでなく、その建築様式がどのように変わってきたのか、その様子を見ることもできます。以下で順を追って説明していきます。
①7世紀初頭の特徴:四天王寺式伽藍配置
法隆寺の創建は607年ですが、670年に一度焼失しています。そのため、創建当時の建造物はありませんが、その当時の遺構は現在でも残っています。それが若草伽藍(わかくさがらん)です。
若草伽藍は西院の南東部に見られ、「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれる伽藍配置をしています。これは現存する法隆寺西院の伽藍配置より、さらに古い形式のものです。
②7世紀後半の特徴:法隆寺式伽藍配置、法起寺式伽藍配置
670年の焼失後、すぐに再建されたのが法隆寺西院です。法隆寺西院の特徴は前述の建築様式と「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれる伽藍配置です。この配置は東に金堂、西に五重塔が並ぶという左右非対称の珍しい配置です。
法起寺は法隆寺西院と近い時期に建造され、特徴もほぼ同じです。しかし伽藍配置は東に五重塔、西に金堂と法隆寺と逆になっています。この伽藍配置は「法起寺式伽藍配置」と呼ばれています。
③8世紀の特徴:天平文化(てんぴょうぶんか)
8世紀の特徴は法隆寺東院に見ることが出来ます。法隆寺東院は聖徳太子を祀るために739年に出来た夢殿(ゆめどの)を中心とした建物群です。夢殿には天平文化の建築様式の特徴を見ることが出来ます。
④8~17世紀の特徴:その後の各時代の仏教建築様式
8~17世紀の仏教建築の特徴は法隆寺内の様々な建造物に見ることができます。法隆寺内の建造物は建造年代がそれぞれ異なるため、様々な時代の特徴が残っています。
西院・東院内の主な建造物は8~13世紀にかけて建造されています。また、西院、東院の周辺を取り囲むように建っている建造物群は子院(しいん)と呼ばれていますが、これらは11世紀頃から法隆寺内に住む僧侶たちがそれぞれの宗教活動をするために出来た建造物群です。
現存しているものの多くは16~17世紀に造られました。
3.法隆寺地域の仏教建造物群の歴史
法隆寺地域の仏教建造物群の歴史は飛鳥時代(約1400年前)にさかのぼります。主な建造物を中心に、時系列ごとにその歴史を振り返ります。
(1)法隆寺 創建~焼失(607~670年)
・607年 推古天皇、聖徳太子により創建
・670年 焼失
まず法隆寺の創建は607年、推古天皇(すいこてんのう)と聖徳太子により創建されました。もともと斑鳩寺(いかるがでら)と呼ばれていた寺院を改名し、法隆寺となりました。この時の伽藍配置は前述の通り四天王寺式伽藍配置です。しかし、法隆寺は670年に火災により焼失してしまいます。
(2)法起寺 創建(638~706年)
・638年 金堂 建造開始
・684年 三重塔 起工
・706年 三重塔 完成
法起寺は聖徳太子の子・山背大兄王(やましろのおおえのおうじ)が、聖徳太子の遺言に従って岡本宮を寺に改めたのが始まりとされています。
638年に金堂の建造が始まり、約70年の時を経て塔が完成しました。
(3)法隆寺西院 再建(680~710年頃)
・~680年頃 金堂完成
・680~710年頃 五重塔、中門、回廊などが建立
・710年頃 伽藍全体が完成
法隆寺焼失の後、再建はすぐに始められ、伽藍全体が完成したのが710年頃と言われています。金堂(こんどう)、五重塔(ごじゅうのとう)、中門(ちゅうもん)、回廊(かいろう)などは建立当時の姿を現在まで残しています。
(4)法隆寺東院 建設(739年)
・739年 夢殿完成
聖徳太子供養のため、739年に太子一族の住居であった斑鳩宮跡(いかるがきゅうあと)に建てられたのが東院の中心建物・夢殿です。僧・行信(ぎょうしん)によって建立されました。この夢殿も創建当時の姿を現在まで残しています。
(5)法隆寺その他建造物群 建設(700~1700年代)
西院、東院の建築物や子院の建築物が1000年以上に渡って建造され続けました。
(6)法起寺火災~再建(1500~1800年代)
・1500年代末 三重塔以外が焼失
・1694年 講堂再建
・1863年 順天堂(じゅんてんどう)再建
法起寺が火災に遭い、三重塔以外が焼失してしまいます。その後、江戸時代に講堂、順天堂が再建され、現在の姿になりました。
4.法隆寺地域の仏教建造物群の構成資産の概要
(1)法隆寺
法隆寺は前述の通り、推古天皇と聖徳太子により607年に建立された斑鳩寺を起源としたお寺です。大きく西院、東院に分けられており、古いものでは7世紀、新しいものでは18世紀に及ぶまで1000年以上にわたって建造された仏教建築物が並んでいます。
以下、西院、東院に分けて紹介します。
①西院
西院は680~710年頃に建てられたもので、伽藍配置は法隆寺式伽藍配置です。
金堂、五重塔といった中心建造物やその構成が今なおほぼ完全に残っています。主要な建造物について紹介します。
ⅰ)金堂
画像:法隆寺 金堂
金堂において特筆すべき特徴は以下の5点です。
・世界最古の木造建築物
・日本初の仏像とされる釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)
・北魏との文化交流を伝える釈迦三尊像のアルカイク・スマイル
・エンタシスの柱
・雲形組物
金堂は680年までに建造されており、法隆寺西院の建造物の中でも最も古いため、まさしく世界最古の木造建築物です。
金堂に祀られている釈迦三尊像は渡来人の鞍作止利(くらつくりのとり)の作品で日本初の仏像とされています。この仏像の表情には古代ギリシャでも採用されていたアルカイク・スマイルが見られます。アルカイクは古代ギリシャ語で「古い・古代の」という意味を持つ言葉です。これは北魏時代の中国の文化の影響であるということが伺えます。
ⅱ)五重塔
画像:法隆寺 五重塔
五重塔において特筆すべき特徴は以下の2点です。
・世界最古の木造の塔
・雲形組物
法隆寺の五重塔は710年頃までに建造され、木造の塔としては世界最古です。高さは31.6m、上に行くほど屋根・塔身が狭くなっており、その減少比率は大きく安定感があるデザインをしています。また、「やじろべえ工法」が取り入れられ耐震設計がなされています。
ⅲ)中門
画像:法隆寺 中門
中門において特筆すべき特徴は以下の4点です。
・門の中央に柱が置かれる四間門(しけんもん)
・日本最古の塑像(そぞう)である金剛力士像
・エンタシスの柱
・雲形組物
中門は710年頃に建造されました。特徴的なのは四間門と呼ばれる偶数間数の門の造りです。通常、門は人が通る中央に柱を建てないよう奇数間にするものですが、法隆寺の中門は偶数間になっています。
中門の両側には阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)という1対の金剛力士像が配置されています。このうち、右側の阿形は創建当時の塑像、左側の吽形は頭部と右腕は塑像ですが、それ以外は木造に補修されています。
塑像というのは粘土、油土、蝋(ろう)などを中心に肉付けして造った像で、阿形像は日本で現存する最古の塑像です。
ⅳ)回廊
画像:法隆寺 回廊
回廊において特筆すべき特徴は以下の2点です。
・左右非対称の構造
・エンタシスの柱
法隆寺の回廊も、五重塔や中門と同じく680〜710年頃に建てられ、現存している建物の一つです。
法隆寺の回廊の大きな特徴は左右非対称になっていることです。具体的には中門から左右の回廊までの長さが異なります。中門から左(西側)の回廊までが9間、中門から右(東側)の回廊までが10間と東側の方が若干長くなっています。これは左右非対称な法隆寺式伽藍配置を美しく見える様にするための配慮と考えられます。
法隆寺式伽藍配置では伽藍の中央に金堂と五重塔という大きさも形も異なる建物が並んでいます。東側には五重塔ほど高くはないが平面的には広い金堂、西側には高さはあるが金堂ほど広くはない五重塔があります。中門の位置はこれらの建物のバランスを考え、中央から少しずらした位置に建てられたのだと考えられています。
また、金堂・中門に見られるエンタシスの柱があることも特徴の一つです。
②東院
東院は、聖徳太子一族の住居であった斑鳩寺が荒廃しているのを見た僧・行信がこれを嘆き、739年に創建した建造物群です。中心となっているのは夢殿で、聖徳太子を祀るために建てられました。夢殿と言う名前は聖徳太子が夢で金人(きんじん)(仏)に出会ったという伝説から名づけられています。
ⅰ)夢殿
画像:法隆寺 夢殿
夢殿において特筆すべき特徴は以下の3点です。
・現存最古の八角円堂(はっかくえんどう)
・祀られているのは救世観音立像(くせかんのんりつぞう)
・屋根は頂上に豪華な宝形(ほうぎょう)を備えた八注(はっちゅう)造り
夢殿の形状は上から見たときに八角形に見える八角円堂と呼ばれる形状です。そのため、屋根の形状も八注造りという宝形造りを変形させた独特な形状となっています。739年建立の夢殿は現存する八角円堂の中で最古のものです。
祀られているのは救世観音立像という聖徳太子の等身像です。この像は長年秘仏とされ白布がかけられていました。明治初期に美術研究家の岡倉天心(おかくらてんしん)とアメリカの東洋美術史家のアーネスト・フェノロサがその白布を取るまで数百年間誰も拝んだものがいなかったという伝説があります。
この救世観音立像は非常に保存状態がよく、当初のものと思われる金箔が多く残っています。
(2)法起寺
法起寺は聖徳太子の遺言に従い、聖徳太子の子・山背大兄王によって建てられました。詳細は638年に福亮(ふくりゅう)僧正が金堂を建立し、685年に恵施(けいし)僧正が宝塔建立を発願、706年に完成したものとされています※2。
位置は聖徳太子が法華経を講じた岡本宮があった場所とされ、法隆寺の北東約1.5kmに位置しています。法起寺の伽藍配置は前述の通り、法隆寺と左右逆の法起寺式伽藍配置でした。
しかし、この伽藍配置となる以前に別の伽藍があったことも発掘調査で確認されています。その伽藍は南北の基軸より約20度傾いており、そのズレは若草伽藍と同様のズレでした。
法起寺は1500年代末(16世紀末)に三重塔以外が焼失してしまいます。その後、17世紀以降に講堂などが再建され、現在の形になりました。そのため、創建当時の姿を残すのは三重塔のみとなっています。
ⅰ)三重塔
三重塔について特筆すべき特徴は以下の2点です。
・日本最古の三重塔
・雲形組物
法起寺は706年完成の三重塔は高さ24mで日本最古かつ最大規模の三重塔です。建築様式としては法隆寺の五重塔と同様に飛鳥時代の特徴である雲形組物が見られます。また、五重塔との興味深い共通点として、三重塔の初層、二層、三層の大きさが五重塔の初層、三層、五層とほぼ同じであることが挙げられます。建築年代も同じころのため、何らかの関係があったのだろうと推測されます。
※2 これらの歴史については1242年に法隆寺の僧・顕真(けんしん)が著した「聖徳太子伝私記(しょうとくたいしでんしき)」内の「法起寺三重塔露盤銘(ほうきじさんじゅうのとうろばんめい)」という史料が根拠となっていますが、その真偽についてはいまだ議論がなされています。
【参考書籍】
すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)
【参考HP】