中宮寺(聖徳宗)の歴史、伽藍、半跏思惟像、天寿国繍帳など見どころ紹介
中宮寺(ちゅうぐうじ)は奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子建立七寺の1つで、16世紀末頃、法隆寺東院伽藍に隣接する場所に移設され現在に至ります。聖徳太子の住んでいた斑鳩宮と東側にあった岡本宮との中間辺りにあったことから中宮と呼ばれ、そのゆえんから中宮寺(中宮尼寺)と呼ばれるようになりました。創建期から法相宗、鎌倉時代から太平洋戦争終結後までは真言宗、その後は法隆寺が総本山である聖徳宗に属しています。中宮寺跡の発掘調査で、尼寺である向原寺(桜井尼寺)と同じ系統の瓦が出土していることから、創建時から中宮寺が尼寺であったことを出土物が立証しており、創建時代から法隆寺に対なす尼寺だったことが確認されています。また、皇族の女性が住職として入寺する門跡寺院であり、圓照寺・法華寺とともに大和三尼門跡に数えられている寺院でもあります。ここでは、聖徳太子ゆかりの寺であり、国宝が複数点残る中宮寺について紹介します。