古墳時代の暮らし・特徴 大和政権による国土の統一・統一国家への歩み 飛鳥時代までの外交

弥生時代までは各地で有力だった豪族が自分の地域を治めているだけでした。それが気象変動などが原因で国が大いに乱れ、その乱れを治めるために各地の豪族が手を結ぶようになりました。そうして大きくなった各地の豪族による連合体がさらに他の連合体と協力したり、武力によって支配したりすることで、次第に一つの大きな集団となり、最終的には大王(おおきみ)を中心とした一つの国になっていきます。古墳は大王や各地の権力者を祀るための墓であり、日本という一つの国家が生まれ始めた時代の状況を今に伝える貴重な遺跡です。そのため、この時代は古墳時代と呼ばれます。

古墳時代の時代区分 古墳、埴輪の種類・特徴

古墳時代は3世紀後半~7世紀頃の時代とされ、古墳の形状などから前期、中期、後期に分けられるのが一般的です。前期は3世紀後半~4世紀頃とされています。前期の古墳の代表的なものとしては、最古の前方後円墳であり、古墳時代では最大規模の奈良県の箸墓古墳、中国地方最大である岡山県の浦間茶臼山古墳、九州北部・福岡県の石塚山古墳などが挙げられます。古墳時代の中期は4世紀末~5世紀頃とされています。中期の古墳の特徴は前方後円墳が巨大化したことです。代表的な古墳は大阪府にある大仙陵古墳(仁徳天皇陵)です。古墳時代の後期は6世紀~7世紀頃とされ、後期の特徴は前方後円墳の規模や数が縮小化し、古墳時代後期の最後の方には前方後円墳が見られなくなります。

京都五山物語~相国寺の歴史・武家政治と禅寺

萬年山相国承天禅寺、通称「相国寺」は1392年に竣工されました。実は、鎌倉時代後半から室町時代初期に建立された他の寺院に比べると、建立時期が遅く、臨済宗の最高ランク「五山」にノミネートされるには、伝統的にもむずかしいはずです。ではなぜ、相国寺は京都五山の一つであり続けることができたのでしょうか。そこには、室町幕府三代将軍の足利義満が大きくかかわってきます。義満は建立にあたって、相国寺を「五山」に入れることを画策します。しかし、すでに決まっている以上、その実現は難しいと考えられていました。そこで義満は五山の一つである南禅寺を「五山の上」とし、その空いた一枠に相国寺を入れました。建立からわずか数年での「五山」入りは、義満の政治力によって実現されたのでした。

京都五山物語~天龍寺・元祖禅寺の歴史~

世界遺産にも認定され、京都五山の中でも一番長い伝統を持つ天龍寺は、どんな歴史をたどってきたのでしょうか。9世紀前半、仏教に深く帰依していた、当時の皇后橘嘉智子によって、招かれた義空という中国の僧侶がいました。彼は嘉智子の使者からの誘いを何度も断ってきましたが、最終的には来日を決意しました。来日した背景には、「会昌の廃仏」がありました。これは、当時中国を支配していた唐王朝によって行われた、仏教の排斥運動です。これによって中国で発展していた多くの寺院が廃止されました。義空はそれから逃れる形で日本に入ったと言われています。そして、義空が来日したことによって、嘉智子は檀林寺という寺院を今の天龍寺付近に建立いたしました。日本史上初の禅寺です。

京都五山物語~東福寺の歴史~

京都五山は、13世紀から14世紀にかけて禅宗が発展した歴史を色濃く残す五つの寺院です。ここではその一つ「東福寺」について紹介します。京阪電鉄ならびにJR「東福寺」駅より徒歩10分のところに慧日山東福寺はその門を構えています。多くの国宝と文化財を所有する、まさに「古都」京都の文化が詰まっている一方で、1881年に起こった大火が原因で、建造物のほとんどは近代以降に建てられたものになります。しかし、それでも禅を基調とする風情が伝わってきます。東福寺の名前は東大寺と興福寺に由来します。それぞれ一文字ずつ拝借した結果、その名が誕生したのです。東福寺の歴史を、名前の由来や円爾、九条道家などの禅僧、当時の政治情勢を踏まえながら学んでいきましょう。

京都五山物語~建仁寺・禅宗の京都進出~

13世紀の仏教勢力間の争いを京都五山の一つ「建仁寺」の歴史から紹介します。創建は1202年、宗派は禅を基本とする臨済宗です。一休さんのイメージから禅は今でこそ日本の伝統文化の一つと思われがちですが、実は中国から伝来された文化であり禅を日本に広めた人物は栄西です。栄西が事実上最初に開いた禅寺は博多の聖福寺ですが、驚くべきは建立が1195年ということです。最初の寺院設立から京都で建仁寺を建立するまで七年しかかかっていません。それは栄西が抜群の政治センスを持った人物だったからです。栄西は当時の仏教界で勢力を誇っていた天台宗、真言宗、奈良仏教の諸派の勢力と対立することを避け、また朝廷や鎌倉幕府の政治状況を利用することでうまく立ち回ったのです

京都五山物語~南禅寺・五山別格の歴史~

五山を改革したのが南北朝の争いを終結させた足利義満でした。きっかけは相国寺を自身の邸宅である「花の御所」の隣に建立させたことでした。義満は相国寺の五山入りを企んだのですが、相国寺を含めると五山の寺院数が十一になること、鎌倉の寺院が五つ、京都の寺院が六つあることを利用し、見直しを図ったのです。まず南禅寺を除く十の寺院を「鎌倉五山」と「京都五山」に分けました。そして、南禅寺を「五山の上」の別格として扱ったのです。寺院数の増減はなくなり、その地位は固定されました。また、京都の南禅寺を序列のさらに上に置いたこと、相国寺を「京都五山」入りさせたことで、将軍のいる京都から全国各地の臨済宗系の寺院をコントロールしやすくなったことも大きな利点です。

真言宗総本山 東寺(教王護国寺) の歴史と建物

東寺は真言宗の根本道場として真言宗全体の総本山であるとともに宗派の一つ『東寺真言宗』の総本山であり、真言宗十八本山の一つです。平安時代、国家鎮護の天皇の発願により創建されました。正式名称は教王護国寺です。1994年12月『古都京都の文化財』としてユネスコ世界遺産に登録されました。ここでは、東寺やその伽藍(建物)の歴史について紹介します。

華厳宗 東大寺の歴史、四聖、大仏殿、南大門、二月堂、三月堂、戒壇院、鐘楼など

東大寺は南都六宗の一つである華厳宗の大本山であるお寺です。全国にある国分寺の中心である総国分寺としても位置付けられています。東大寺ののはじまりは奈良時代に遡ります。第45代聖武天皇が国をあげて建立したお寺で、奈良の大仏が安置されていることでも有名です。ここでは東大寺の歴史を紐解きながら、大仏殿、南大門、二月堂、三月堂、戒壇院、俊乗堂など見どころをわかりやすくご紹介していきます。

音羽山 清水寺 1200年の歴史ある京都屈指の名所

京都の観光スポットと言えば、必ず名前があがる音羽山 清水寺。清水寺は、観光スポット10選には必ず入る有名観光地です。特に東山地区では一番人気の観光スポット、見どころとなっています。また2017年の「日本の展望スポットランキング」では1位にも選ばれている展望スポットです。この清水寺は、JR京都駅から3kmほどのところに位置します。世界文化遺産や国宝にも指定されており、その舞台は一度は目にしておきたいものです。