日本の世界遺産 日光の社寺 日光東照宮・二荒山神社・輪王寺
1.世界遺産登録基準
日光は世界遺産リストに「日光の社寺」という名前で登録されています。
世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。
日光は登録基準ⅰ、ⅳ、ⅵ、を満たし、世界遺産リストに登録されました。
世界遺産基準 ⅰ. の適用について
東照宮(とうしょうぐう)は建築当時(江戸時代)の天才的な芸術家たちによって造られた作品です。建造物群の芸術性だけでなく、周囲の自然の調和によって更にその芸術性が高められています。この点が基準ⅰ.(人類の創造的資質や人間の才能を示す傑作)に該当するとして、評価されました。
世界遺産基準 ⅳ. の適用について
東照宮、輪王寺大猷院(りんのうじだいゆういん)は近代日本の宗教建築様式である「権現造り(ごんげんづくり)」で建てられています。これはその後の日本における霊廟(れいびょう)建築や神社建築の規範として大きな影響力を保ち続けた重要な事例となっています。この点が基準ⅳ.(建築様式や建築技術、科学技術の発展段階を示す遺産)に該当するとして、評価されました。
世界遺産基準 ⅵ. の適用について
日光には日本独自の宗教思想が残っています。日本独自の宗教思想とは、仏教と日本古来の自然を神格化しようとする神道の考え方とが混ざりあって誕生した思想です。この思想に基づいた宗教儀礼や行事は現在も受け継がれています。この点が基準ⅵ.(人類の歴史上の出来事や伝統、宗教、芸術などと強く結びつく遺産)に該当するとして、評価されました。
2.遺産価値総論
日光の遺産価値は「日本独自の信仰形態の歴史を今に伝えていること」です。
日光は 8世紀末に修験道(しゅげんどう)の僧・勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開山されました。修験道は日本古来の山岳信仰に仏教などが混ざり合った日本独自の信仰形態です。室町・鎌倉時代には山内に500を超える寺社が立ち並ぶほど栄えました。
17世紀に江戸幕府の祖・徳川家康の霊廟として、家康側近の僧・天海によって東照社(東照宮の前身)が建造されます。その後、徳川三代将軍・家光による「寛永の大造替(かんえいのだいぞうたい)」と呼ばれる大改修を経て、日光は現在の姿に近いものとなりました。その後、日光山は代々の将軍や全国の大名による参拝が行われ、250年以上にわたる江戸時代の政治体制を整える上で重要な役割を果たすことになります。
明治時代には神仏分離政策により構成資産である二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)、東照宮、輪王寺の3つの宗教法人に分割管理されることになります。その際に若干の変動はあったものの、日光山は依然として日本宗教の特質である神仏習合(しんぶつしゅうごう)の歴史を顕著に現わしています。
3.歴史
世界遺産にかかわる日光の歴史は、遺産価値総論にも記載した通り、実に1200年にも及びます。その歴史には大きく分けて四つの節目があります。
一つ目は日光山の始まりである8世紀末です。修験道の僧・勝道上人によって四本龍寺(しほんりゅうじ)が建てられたことによって日光山は開山されました。その後、四本龍寺は満願寺(まんがんじ)の称号を賜り、勝道上人の弟子たちによって座主が受け継がれていきます。
二つ目は12世紀頃、鎌倉幕府が開かれたことで初めて関東に政治の中心が置かれるようになりました。それまでも関東全域の信仰を得ていましたが、鎌倉幕府が開かれた後は武家や豪族たちの信仰の対象となり大きな発展を遂げることとなります。この頃、神仏習合の考え方が拡がり、日光山の主峰三山・男体山(なんたいさん)を千手観音、女峰山(にょほうさん)を阿弥陀如来、太郎山(たろうさん)を馬頭観音とする「日光三所権現(にっこうさんしょごんげん)」と呼ばれる宗教形態が拡がったとされています。
鎌倉・室町幕府の隆盛と共に大きく繁栄した日光山ですが、戦国時代になると豊臣秀吉によって「敵である北条氏に組していた」ということで怒りを買い、領土を没収され衰退してしまいます。
しかしその後、三つ目の節目が訪れます。それは江戸幕府が開かれた17世紀、僧・天海によって徳川家康の神霊を祀るための霊廟・東照宮が造営されたことに始まります。1616年に天海によって東照宮が造られると、1634年には徳川三代目将軍・家光によって「寛永の大造替」と呼ばれる大規模な造替が行われます。この造替は家光が尊敬する家康の為に巨額を投じて行われ、日本全国から一流の職人たちを集め、わずか1年5ヶ月で完成させてしまいます。この大造替により、日光は現在の姿に近いものとなります。その後は全国の各藩大名を始め、代々の将軍の参拝や朝廷からの例幣使(れいへいし)の派遣、朝鮮通信使の参拝などがされ、政治的にも重要な役割を果たしました。
四つ目に訪れる節目は19世紀の明治維新、この時に新政府により神仏分離令が出され、仏堂の移転や仏像の破壊などが行われてしまいます。そんな中、この事態を痛ましく思った明治天皇による詔が出たため、被害は最小限に抑えられました。
その後は自動車道路や鉄道の開通などもあり、観光地として人気が増え、現在の日光の姿となります。
4.構成資産の概要
日光の社寺の構成資産は東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺に属する103棟です。これは明治時代の神仏分離令によって分けられたものですが、それぞれの概要について以下に記載します。
(1)東照宮
東照宮は徳川家康を神格化した「東照大権現」を祀る神社です。敷地内には55棟の建造物がありますが、世界遺産に登録されているのは42棟です。
東照宮は1616年に天海によって建築が開始され翌年に完成。1634年には三代将軍・家光によって寛永の大造替が行われます。
建築的な特徴としては、東照宮本社は近世日本の神社建築の完成形とされる「権現造り」という建築様式が採られています。彫刻や彩色などの豪華な建築装飾は当時の第一級の職人たちによって行われ、優れた技術が用いられています。
中でも1636年に造営された陽明門(ようめいもん)は、東照宮建築物群の中で最も優れた建築装飾がなされており、東照宮を代表する建築物です。
また、有名な三猿や眠り猫といった装飾物も神厩舎、東回廊と言った東照宮の建築物群の中にあります。
(2)二荒山神社
二荒山神社は 大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を祀る神社です。この三神はそれぞれ、男体山、女峰山、太郎山の神とされています。 二荒山神社は山内の神道系の建造物のうち、東照宮を除いた建造物群の総称で、世界遺産に登録されているのは23棟です。
始まりは767年に勝道上人が男体山の神を祀る祠を建てたことが始まりとされています。その後、寛永の大造替もなされますが、本社本殿はそれ以前からある八棟造りという貴重な建築様式となっています。
(3)輪王寺
輪王寺は千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られているお寺です。山内にある仏教系の建造物群の総称で60棟あまりの建造物があり、そのうちの38棟が世界遺産に登録されています。
始まりは歴史の項でも記載した通り、766年に勝道上人によって創建された四本龍寺です。
ご本尊である千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られている三仏堂は輪王寺の本堂であり、日光山内最大の建造物、木造建築としては東日本でも最大規模とされています。また祀られている仏像は約7.5mと、こちらも東日本でも有数の大きさとされています。
徳川家光の霊廟である大猷院は「権現造り」の建築様式が採られています。
5.保全体制
日光が文化遺産として優れていた特徴の一つにその保全体制があります。江戸時代には初代徳川家康の祀られた神聖な場所として、幕府の管理の下で時代を通じて最高の技術で保存されてきました。また、明治維新後も早くから文化財として保護され、現在に至るまで美しい姿を保っています。
意匠、材料の修繕技術は江戸時代以来の伝統技術が受け継がれており、構成資産を含む周囲の自然環境もほとんど当初の状態で保存されています。
このような高い水準で保護されてきた保全体制も日光が世界遺産となった大きな要因です。
【参考書籍】
すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)
【参考HP】