白川郷・五箇山の合掌造り集落 日本の世界遺産

日本の世界遺産 白川郷・五箇山の合掌造り集落

1.世界遺産登録基準

白川郷は世界遺産リストに「白川郷(しらかわごう)・五箇山(ごかやま)の合掌造り(がっしょうづくり)集落」という名前で登録されています。

世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。

白川郷・五箇山の合掌造り集落は登録基準ⅳ、ⅴを満たし、世界遺産リストに登録されました。

世界遺産基準 ⅳ. (時代を表す建築物や景観の見本となるもの)の適用について

白川郷・五箇山にある「合掌造り」という建築様式は、雪はけ・水はけを良くするための急傾斜の茅葺き屋根、養蚕に適した屋根裏スペースの利用などの特徴があります。これらは豪雪・多雨地帯という自然環境、耕作地が少なく養蚕(ようさん)などの家内工業が盛んになったという状況に適応した集落の優れた見本であると言えます。

この点が基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。

世界遺産基準 ⅴ. (ある文化を代表する集落や土地利用の見本となるもの。(特に周囲の変化によって、その存続が危ぶまれているもの。))の適用について

 白川郷・五箇山は山間部に位置する自然環境の厳しい地域です。1950年ごろまでは周囲からも隔絶された場所であったため、その地域独特の文化が形成されてきました。その文化とは、厳しい自然環境で暮らすための地域内の結びつきの強さです。具体的には浄土真宗という同一信仰による精神的な結びつきを基に、「組(くみ)」と呼ばれる相互扶助組織や大家族制度などが存在しました。これらは戦後日本の高度成長期という変動の中でも残った、昔からの文化を表す集落の見本であるといえます。

これらの点が基準ⅴ.に該当するとして、評価されました。

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2.白川郷・五箇山の合掌造り集落の遺産価値総論

白川郷・五箇山の合掌造り集落の遺産価値は「山間部の環境に適応した独特で合理的な集落であること」です。

山間部の環境というのは、雪や雨が多いこと、農地が少ないことなどが挙げられます。こういった環境に適応した合理的な形が合掌造り集落です。

農地が少なく、厳しい自然環境だったことにより、火薬の原料となる塩硝(えんしょう)の生産、和紙漉き(わしすき)、養蚕などの家内工業が発達しました。また、相続による耕作地の細分化を防ぐために長男のみが結婚し、大家族化するという文化が出来上がりました。その結果として、合掌造りは以下のような特徴を持つことになります。

(1) 大家族が暮らし、家内工業を行うために他の地方の農家に比べて規模が大きい
(2) 雪はけ、水はけの良い45~60°程の急勾配の傾斜を持つ茅葺き屋根
(3) 屋根裏スペース確保のための叉首構造(さすこうぞう)の切妻造り(きりつまづくり)屋根
(詳細は「4.構成資産の概要(1)合掌造りについて」に記載)

このようにして白川郷・五箇山地域では、山間部の厳しい環境での暮らしに合わせた合理的で独特な建築様式である合掌造りが発展していきました。

この建築様式は日本国内でもこの地域でしか見ることが出来ません。その数は過去最大であった19世紀末で1850棟でした。これは当時の日本国内の家屋総数550万戸の0.03%程度しかない希少なものでした。

1930年代に精力的に日本各地の建築を見て回ったドイツの著名な建築家ブルーノ・タウト氏は、合掌造り家屋について「これらの家屋は、その構造が合理的であり、論理的であるという点においては、日本全国まったく独特の存在である」と評しています。

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3.白川郷・五箇山の合掌造り集落の歴史

 合掌造りの正確な成立時期については残念ながらわかっていません。しかし、現存する家屋の伝承と建築技法から、最も古いもので17世紀末ごろに建築されたのではないかと推測されています。その後は塩硝生産や養蚕が盛んになる18世紀中期から19世紀中期にかけて、大規模化と屋根裏スペースの利用がさらに進展したとされています。19世紀末ごろには合掌造り家屋の数がピークに達し、その数は1850棟ほどになります。

1950年以降、日本は高度経済成長期に入りますが、その頃から合掌造り家屋の数は減少の一途をたどることとなります。その理由は産業衰退や人口の都市部流出などがありますが、特に大きかったのが1961年の御母衣(みぼろ)ダム建設による集落の水没、1963年の大豪雪による集落孤立をきっかけにした人口流出とされています。

こうして徐々に少なくなってしまった合掌造り家屋ですが、伝統的な家屋形式をこれ以上失わないようにしようという動きが現れ始めます。その代表的なものに1971年に発足した「荻町集落の自然環境を守る会」があります。この会では「売らない、貸さない、こわさない」という住民憲章を制定し、合掌造り集落の保存を行う様になりました。その後の1976年、荻町集落は重要伝統的建造物群保存地区に選定されることになります。

こうして、住民、国による保護が行われてきた合掌造り集落ですが、1992年日本の世界遺産条約批准に伴い、世界遺産リストへの登録に向けて動き始めます。まずは日本が世界遺産条約を批准した1992年、国の暫定リストへ登録されます。そしてその2年後の1994年にはユネスコの世界遺産センターへ推薦書が提出され、翌年1995年12月ベルリンで行われた第19回世界遺産委員会で無事に世界遺産リストへ登録されることとなりました。

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4.白川郷・五箇山の合掌造り集落 構成資産の概要

構成資産の概要を紹介する前に、合掌造りについて説明します。

(1)合掌造りについて

合掌造りの特徴については上述の通り、規模が大きく(床面積が広く)、屋根の傾斜が急で、屋根裏スペースを利用できるという構造になっています。この特徴について構造の部分から、もう少し詳しく説明します。

①屋根形式

まず、家屋の一般的な屋根形式には寄棟造(よせむねづくり)、入母屋造(いりもやづくり)、切妻造(きりつまづくり)などがありますが、合掌造りの屋根形式は切妻造です。これは2枚の傾斜面のみで屋根を作ったような形状です。横から見た場合にカタカナの「ハ」の字の上側をくっつけたような形状です。

建物の各面の呼び名として、長辺側(屋根が四角く見える側)を「平(ひら)」と言い、短辺側(「ハ」の字が見える側)を「妻(つま)」と言います。

画像:
Wikipedia 妻側

②構造

合掌造りは「ウスバリ構造」と呼ばれる構造になっています。これは家屋を簡易的に横から見た場合、人が暮らす四角形(□)の上に屋根部分の三角形(△)を乗せたような形になりますが、この□と△の形状が上下で完全に分かれている構造を指します。この□部分は軸組(じくぐみ)、△部分は小屋組(こやぐみ)、三角形の底辺にあたる部分はウスバリと呼ばれています。

画像:五箇山 小さな世界遺産の村

一般的には軸組と小屋組は分かれておらず、天井裏まで吹き抜けになっていることが多いですが、ウスバリ構造では軸組の上のウスバリで軸組と小屋組が分かれています。

合掌造りではこの小屋組が叉首構造(さすこうぞう)と呼ばれる構造になっています。叉首構造は2本の丸太を頂点で結んだ形状で屋根裏のスペースを広く使えるというメリットがあります。合掌造りでは屋根の傾斜が急なため小屋組の上下方向のスペースが広く、下部の「アマ」、上部の「ソラアマ」と呼ばれる部分に分けることが出来ます。小屋組部分は養蚕に使用する蚕室、茅や食料の保存、家人の寝室などに使われていました。

(2)構成資産について

白川郷・五箇山の合掌造り集落には以下の3つの構成資産があります。岐阜県・富山県にまたがって流れる庄川(しょうかわ)沿いに位置する白川郷、五箇山と呼ばれる地域に属する3つの集落です。それぞれ規模が異なり、地域ごとの拡がりや差異が見られます。

①荻町集落(岐阜県・白川郷)

荻町集落は岐阜県の白川郷にある集落です。標高は500m程で庄川の東側右岸に位置しています。南北方向に約1500m、東西方向に最大で約350mの広さを持ち、構成資産の3つの集落の中では一番大規模な集落です。ここには113棟の合掌造り家屋がありますが、そのうち保存状態の良い59棟が登録物件となっています。ただし、明善寺庫裏は一般の家屋ではありませんが、合掌造り家屋と同じ造りをしているため、これを加えると60棟となります。

荻町集落の合掌造り家屋は庄川に沿って、妻を南北に向けて並んでいます。これには屋根に満遍なく日光を当てるため、南北方向に吹く強い風の受ける面積を少なくするため、夏には風を抜けやすくするため、などの理由があると言われています。

荻町集落の合掌造り家屋の特徴としては、屋根には煙抜きがないこと、家屋の入り口が建物の平側にある「平入(ひらいり)」が多いこと、五箇山の合掌造り家屋に比べて傾斜が緩いことが挙げられます。傾斜が緩いのは五箇山地域に比べて白川郷地域の方が雪の質が軽いためとされています。

荻町集落

②相倉集落(富山県・五箇山)

相倉集落は富山県の五箇山にある集落です。3つの集落の中で最も北側にあり、標高は約400mで庄川の西側左岸に位置しています。南北約500m、東西約200mの広さで、構成資産3つの中では中規模な集落となっています。ここには20棟の登録物件があります。

相倉集落の合掌造り家屋の特徴としては、屋根には煙抜きがあること、家屋の入り口が建物の妻側にある「妻入(つまいり)」が多いこと、白川郷の合掌造り家屋に比べて傾斜がきついことが挙げられます。傾斜がきついのは白川郷地域に比べて雪に湿気が多く重いためとされています。

相倉集落

③菅沼集落(富山県・五箇山)

菅沼集落は富山県の五箇山にある集落です。標高は約330mで、富山県と岐阜県の県境付近、庄川の東側右岸に位置しています。南北約230m、東西約240mの広さで、構成資産3つの中では一番小規模な集落となっています。ここには9棟の登録物件があります。

菅沼集落の合掌造り家屋の特徴としては、屋根には煙抜きがあること、家屋の入り口が建物の妻側にある「妻入(つまいり)」であること、白川郷の合掌造り家屋に比べて傾斜がきついことが挙げられます。家屋の特徴は相倉集落と似ていますが、集落の特徴として、土地がせまいため住居区域と農業区域が分けられている点が挙げられます。

菅沼集落

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5.白川郷・五箇山の合掌造り集落 その他

(1) 地域内の繋がりの強さ

白川郷・五箇山の集落は地域内の結びつきが強く、独特の組織や社会制度が存在します。そのいくつかについて紹介いたします。

①「組(くみ)」

「1.登録基準」内で少し説明しましたが、白川郷・五箇山の集落にはこの地方独特の「組」と呼ばれる相互扶助組織が存在します。これは近隣の家々で構成されるもので、江戸時代から現代まで続いています。「組」で行う作業としては、草刈り、水路清掃、除雪、神社の出役などが挙げられます。また合掌造り家屋は火災に弱いため、火災防止の夜回りなども行っています。荻町地区では昼、夕方、夜の1日3回「火の用心」を呼びかけて見回りを行っているほか、当番制で23時に集落全体を見回る「大まわり」の実施などもしています。

②「結(ゆい)」

これも合掌造り集落独特の制度です。合掌造りの屋根は非常に大きな茅葺き屋根ですが、30~40年に1度葺き替えを行います。また、全体の葺き替えはなくとも、年に1、2度は屋根の補修を行う必要があります。この葺き替え・補修といった作業は地域の扶助組織である「組」単位で行われるのですが、この仕組みを「結」と言います。

「結」では屋根の葺き替えや補修だけではなく、合掌造り家屋の小屋組・屋根部分の組み立て・葺き上げも行います。上述の通り、合掌造り家屋はウスバリ構造と呼ばれる構造で、軸組部分と小屋組部分で空間的にも構造的にも分かれています。合掌造り家屋の組立は、軸組部分については専門的な大工によって行われますが、小屋組部分は「結」によって行われるのです。そのため小屋組み部分の部材の仕上りは粗く、縄などで結ぶだけの簡単なものになっています。これは「土台となる軸組と違い、小屋組と屋根にはそこまでお金をかける必要がない」という収入の少ない山間部での生活の知恵とされています。

現在は集落内に合掌造りでない家屋も増え、これらの「結」がなかなか維持しにくくなっているという問題もあります。

③大家族制度

現在はなくなってしまいましたが、この地域の集落には大家族制度というものがありました。これは10~30人ほどの一族が1軒の家屋に住むもので、耕作地の少ない集落で相続による耕作地の細分化を防ぐためのものでした。この制度では家長夫妻とその弟姉妹や家長の長男夫妻などの親族が、分家をせずに数世代にわたって共同生活を営んでおり、日本ではこの地方独特の制度として学術的にも注目されていました。

【参照HP】

Wikipedia 白川郷・五箇山の合掌造集落

日本の世界遺産 白川郷・五箇山の合掌造り集落

wikipedia 切妻造り

wikipedia 妻側

wikipedia 合掌造り

五箇山~小さな世界遺産の村~

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