古墳時代 前期・中期・後期の時代区分ごとの古墳、埴輪の種類・特徴
古墳時代は3世紀後半~7世紀頃の時代とされています。古墳の時代区分とそれぞれの特徴は以下の表のとおりです。古墳の形状などから前期、中期、後期に分けられるのが一般的です。
■古墳時代の時代区分
前期(3世紀後半~4世紀) | 中期(4世紀末~5世紀) | 後期(6~7世紀) | |
形態 | 円墳・方墳・前方後方墳・前方後円墳など | 前方後円墳 | 前方後円墳が減少し、規模の小さい円墳が増える |
古墳内部の構造 | 竪穴式石室や粘土郭 | 竪穴式石室。5世紀中頃から横穴式石室 | 家族墓的性格を持つ横穴式石室が全国で普及 |
副葬品 | 銅鏡・碧玉製腕飾・玉杖など司祭者的・呪術的宝飾類が中心。他に鉄製の農工具など | 馬具・甲冑・冠・金銀製装身具・大量の鉄器など大陸・朝鮮渡来の軍事的・実用的なものが多数 | 武器・馬具のほか工芸装身具・土器(土師器・須恵器)など日常生活の用具が中心 |
埴輪 | 円筒埴輪が中心 | 形象埴輪(人・動物・家・舟など) | 形象埴輪 |
実例 | 箸墓古墳(奈良県桜井市)、浦間茶臼山古墳(岡山市)、石塚山古墳(福岡県苅田町) | 大山陵古墳(大阪府堺市)、本田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)、造山古墳(岡山市) | 三瀬丸山古墳(橿原市)、高松塚古墳(奈良県明日香村)、竹原古墳(福岡県若宮町)、岩橋千塚古墳群(和歌山市) |
出典:ナビゲーター日本史B 1 原子・古代~南北朝(山川出版 曾田康範 編著
(1)古墳時代 前期
古墳時代の前期は3世紀後半~4世紀頃とされています。
前期の古墳の代表的なものは、最古の前方後円墳であり、古墳時代では最大規模の奈良県の箸墓古墳(はしはかこふん)、中国地方最大である岡山県の浦間茶臼山古墳(うらまちゃうすやまこふん)、九州北部・福岡県の石塚山古墳(いしづかやまこふん)などが挙げられます。
古墳時代前期の特徴は様々な種類の古墳が作られていたことです。古墳の形状として有名な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を始め、前方後方墳(ぜんぷんこうほうふん)、円噴(えんぷん)、方墳(ほうふん)などがありました。ここで、前方後円墳というのは古墳の前が四角形(前方)、古墳の後ろが円形(後円)ということです。同様に前方後方墳は古墳の前も後ろも四角形ということです。
前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4形状は古墳の基本形状で、前方後円墳→前方後方墳→円噴→方墳の順で被葬者の身分の高さを示しています。
また、形状の他にも規模の差があり、規模が大きいほど身分が高いことを示しています。その関係を表したのが、以下の図です。高い位置にある古墳の被葬者ほど身分が高かったことを表しています。
形状以外にも古墳を特徴づけるものとして、内部構造、副葬品の種類、埴輪(はにわ)の形状などがあります。
前期の古墳の内部構造には、竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)や粘土槨(ねんどかく)が使われていました。
竪穴式石室というのは、古墳の墳丘の頂上から下に向かって穴を掘って作られた部屋のことです。この中には木でつくられた木棺(もっかん)や石で作られた石棺(せきかん)などの棺が安置されており、遺体とともに多くの銅鏡などの呪術的な副葬品が納められています。石室の天井には石を乗せ、その上から土をかぶせています。
粘土槨は棺が粘土で覆われたもので、竪穴式石室と同じく縦に穴が掘られたものです。
前期の古墳の副葬品には、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を始めとするたくさんの銅鏡、碧玉製(へきぎょくせい)の腕輪型宝器(ほうき)、鉄製の武器や農工具などが埋葬されていました。
三角縁神獣鏡とは、鏡の断面を見たときに縁が三角形になっており、背面に「神と獣」の模様が入っている鏡で、古墳時代前期の古墳から多く出土する銅鏡です。古墳時代前期の古墳からは銅鏡や碧玉製の腕飾など呪術的・宗教的色彩の強いものが多く、このことから被葬者(ひそうしゃ)は、司祭者的な性格を持っていたものだと推測されています。
古墳には墳丘上に埴輪と呼ばれる置物が置かれています。前期の埴輪は円筒埴輪(えんとうはにわ)と呼ばれる円形で筒状の埴輪が中心でした。
円筒埴輪は古墳を取り囲むように並べられていることが多く、人を中に入れなくするための柵のような役割や、聖なる空間として区切る一種の結界としての役割を持っていたのではないかとされています。
円筒埴輪の大きさは数十㎝から2mを超えるものまでありますが、人の脇の高さくらいのものが一般的です。これは、円筒埴輪は古墳を取り囲んで並べるため大量に必要でしたが、人の脇くらいまでの大きさの埴輪であれば踏み台などを使わずに、数人で同時に作ることができたためです。
前期古墳の分布は以下の図の通りです。前期最大の箸墓古墳を筆頭に近畿地方に規模の大きな古墳が集まっています。このことからも、近畿地方がこの時期から大きな力を持っていたことがわかります。
近畿以外では岡山の浦間茶臼山古墳、福岡の石塚山古墳が大きく、これらの地域にも有力な長がいたことがうかがえます。
(2)古墳時代 中期
古墳時代の中期は4世紀末~5世紀頃とされています。中期の古墳の特徴は前方後円墳が巨大化したことです。
代表的な古墳は大阪府にある大仙陵古墳(だいせんりょうこふん(仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)))です。2019年に世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)を構成する古墳の一つで、日本最大の古墳としても有名です。
その規模は墳丘の長さで525.1メートルあり、その周囲には三重もの濠が設けられています。
さらにその外側には陪冢(ばいちょう・陪塚とも書く)と呼ばれる大型古墳とセットで存在する小型古墳もあり、それらの区域を含めるとその墓域は100haにも及びます。
中期の古墳には大仙陵古墳の他にも、日本第2位の大きさを誇る大阪府の誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)、第4位の岡山県の造山古墳(つくりやまこふん)、など巨大な前方後円墳が多くあることがわかります。
誉田御廟山古墳は大仙陵古同様、百舌鳥・古市古墳群を構成する古墳として世界遺産に登録されており、第15代天皇である応神天皇(おうじんてんのう)の陵墓として、応神天皇陵とも呼ばれています。
中期古墳の内部構造は前期と同様、竪穴式石室が一般的です。石室に安置される棺には、長持型石棺(ながもちがたせっかん)などがあります。
長持型石棺は江戸時代に寝具の収納用具として使われた長持に似た石棺で、底石(そこいし)、長辺の側石(がわせき)2枚、短辺の側石2枚、蓋石(ふたいし)の計6枚の板石からできており、短辺の側石と蓋石はかまぼこ状に膨らんでいます。この長持ち型石棺は畿内の大型古墳に多く見られます。
また、後期になると全国的に普及する横穴式石室も九州などの一部の地域では現れ始めました。
中期古墳の副葬品については、武器や武具といった軍事的なものが多く、被葬者は武人的な性格が強かったことが暗示されています。また、埴輪の形状にも変化が現れ、筒状の円筒埴輪から、何かの形を模した形象埴輪(けいしょうはにわ)が現われます。
形象埴輪には様々な形状がありますが、大別して家形埴輪、器材埴輪、人物埴輪、動物埴輪の4種類に分けられます。
家形埴輪は文字通り家の形をしており、墳丘の頂上に置かれる中心的な埴輪で、その周りを円筒埴輪や器材埴輪が取り囲んでいることが多いです。
器材埴輪は大刀や弓、甲冑と言った武器・武具、壺などの容器、冠や椅子など様々な道具を模したものです。これらは家形埴輪を守護し、その周りに配置されています。
人物埴輪は人の形をした埴輪であり、巫女や楽器を弾く人、武人、馬飼いや力士など、様々な職の埴輪が存在しています。これらは古墳の外側の方に置かれていることが多く、その意味については首長の死に際して首長権を継承する儀式を表現しているという説や、生前の晴れの場面を表しているという説などがあります。
動物埴輪は動物の形をした埴輪で馬、犬、鷹、イノシシ、牛などの種類が確認されており、豪華な馬具をつけた飾り馬が最も多いとされています。これらは人物埴輪と共に置かれており、被葬者の権威をよく表しています。
中期の古墳の分布は以下の図の通りです。これは最大規模の前方後円墳の大きさを示したものですが、前期と同様に近畿地方に最大規模の前方後円墳が多く分布しており、近畿地方が大きな勢力を持っていたことがわかります。
近畿地方以外では岡山県の吉備に日本第4位の大きさである造山古墳が、また近畿から遠く離れた宮崎県の日向(ひゅうが)や群馬県の上毛野(かみつけの)にも巨大な前方後円墳があり、遠方の有力な地方豪族までも政権下に取り込んでいたことがわかります。
また遠く離れた東北地方にも古墳があることから、広く東北地方までも政権下に入れているということもわかります。
■古墳時代中期の大型前方後円墳の分布
画像:ナビゲーター日本史B 1 原子・古代~南北朝(山川出版 曾田康範 編著)
(3)古墳時代 後期
古墳時代の後期は6世紀~7世紀頃とされています。後期の特徴は前方後円墳の規模や数が縮小し、古墳時代後期の最後の方には前方後円墳が見られなくなります。これは中央政権による支配制度がより発展し、全国に広まったためと考えられています。
後期に入ると中央政権であるヤマト政権が氏姓制度(しせいせいど)や部民制(べみんせい)といった管理制度を導入し、各地の豪族の権力を弱めていきます。
氏姓制度は豪族の権力が及ぶ範囲と豪族同士の上下関係を表すもので、部民制は民衆を大王や豪族の支配下に置き、労働させる制度でした。これらが示すことは、各豪族の権力の範囲や、古墳造営に必要な労働力がヤマト政権によって決められるということです。これによって豪族は、多数の農民を動員して造っていた巨大な古墳を造ることができなくなったのです。
管理制度の発展による古墳の縮小と後述する横穴式石室の導入に伴って爆発的に増加したのが、群集噴(ぐんしゅうふん)と言われる古墳群です。
群種墳は小規模な古墳が狭い区域に密集して造られたもので、様々な人々が被葬されている古墳群です。
群集噴が増加したのは、各地の豪族の権力が弱くなったことで有力な農民層が自らの古墳を造れるほどに力をつけたこと、そして横穴式石室という構造から家族墓の考え方が広まったことが理由とされています。それに伴い、古墳に入れられる副葬品も武具などの軍事的なものから、農耕具や土器などの一般の人々が使う日用品が主になっていきました。
また、後期古墳の中には壁に彩色をしたり、線で模様を描いたりした装飾古墳(そうしょくこふん)というものも見られるようになります。代表的なものとしては奈良県の高松塚古墳(たかまつづかこふん)や福岡県の竹原古墳(たけはらこふん)などが有名です。
(画像:高松塚古墳)
なぜ古墳に装飾されるようになったのか、その詳しい理由についてはわかってはいません。しかし、各地域で異なる特徴を持つ装飾古墳の登場は全国的に画一的であった古墳が地域ごとに特色を出すようになったということを示しています。
また他の後期古墳の特徴として、横穴式石室という内部構造が一般的になったことも挙げられます。横穴式石室は当時、朝鮮半島で一般的だったとされる構造で、古墳の横に入口を作り、中心部に石室があるものです。
竪穴式石室との違いとして、横穴式石室は他の人が後から同じお墓に入れるという特徴があります。
竪穴式石室は一度棺を埋めてしまうと二度と開けられなくなってしまうため、基本的には一人のための墓として作られていました。
一方、横穴式石室は、棺を埋めた後でも入口を塞いだ石や土を取り除けば何度でも出入りすることができるため、亡くなった人だけではなくその子や孫なども同じお墓に入ることができました。つまり、次第に家族墓としての意味合いを持つようになっていったのです。
[参考書籍]
ナビゲーター日本史B 1 原子・古代~南北朝(山川出版 曾田康範)
古墳とはなにか 認知考古学から見る古代 (角川選書 松木武彦)
日本の歴史 旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記(小学館 松木武彦)
日本の歴史02 王権誕生(講談社 寺沢 馨)
日本の歴史03 大王から天皇へ(講談社 熊谷公男)
古代国家はいつ成立したか(岩波新書 都出比呂氏)
[参考サイト]
古墳時代の京都
百舌鳥・古市古墳群 こどもQ&A 古墳の中はどうなっているの?