藤原広嗣の乱とは?なぜ?その理由、玄昉・吉備真備との人間関係、広嗣の怨霊、エピソードなどわかりやすく解説
藤原広嗣の乱とは、740年に藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)が九州で挙兵した内乱をいいます。わずか2ヶ月で鎮圧された乱でしたが、壬申の乱以降の朝廷内で起こったはじめての反乱となる事件でした。その背景には、藤原不比等が築いた藤原氏の権力や地位が、天然痘の蔓延による不比等の子どもたちの病没により、大きく崩れ変容していったことがあげられます。孫である藤原広嗣はその変化の中に置かれた藤原氏の一人として、橘諸兄政権に抗い、そして滅ぼされてしまったのです。