
元明天皇、元正天皇が治めた和銅時代、霊亀時代、養老時代の出来事
壬申の乱に勝利した天武天皇は、自身の皇子たちに同じ思いをさせないよう親から子への皇位継承方針を定め、壁皇子を選ぶと、それ以外の皇子には草壁皇子に協力し、お互い助け合って争わないよう誓いを立てさせました。しかし、草壁皇子は天武天皇崩御後の喪中に薨去したため、天武天皇の皇后であった鸕野讚良は、草壁皇子の子である軽皇子へ皇位継承させるため、自らが軽皇子への橋渡しのために天皇に即位。皇子は持統天皇から譲位を受け文武天皇として即位するものの慶雲4年6月15日、25歳で崩御します。文武天皇の皇位継承予定者であった首皇子は、まだ7歳で即位させるには無理な年齢でした。即位の適齢期まで文武天皇の生母であり草壁皇子の正妃であった阿閇皇女が、姉の持統天皇に倣い、橋渡しの即位。これにより慶雲4年7月17日、第43代元明天皇が誕生し、第44代元正天皇が譲位する養老8年2月4日までの約17年間、二代二人の女帝による聖武天皇への橋渡しが行われました。