蘇我馬子一覧

飛鳥寺の歴史、伽藍配置、大仏・仏像(釈迦如来像)、御朱印など

古代の朝廷が都と定め、政治を行う中心地としていた奈良・京都の地には、数多くの古刹が立ち並びます。その中でも、日本において歴史の最も古い古刹が飛鳥寺です。現在は真言宗豊山派に属する寺院で、本元興寺、安居院とも呼ばれています。日本で最初の本格的な仏教寺院として蘇我馬子により創建された蘇我氏の氏寺でもあります。創建当時の伽藍は過去の火事などで焼失し今に残っておらず、現存する伽藍は近代に復旧されたものです。創建当時のもので現存するものとしては、本尊である飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来坐像があり、約1400年経った今でも重要文化財として飛鳥寺に安置されています。ここでは、日本最古の仏教寺院である飛鳥寺にまつわる歴史と、現存する伽藍の詳細について紹介します。

乙巳の変とは?その理由、大化の改新との関係、真相、エピソード等わかりやすく解説

乙巳の変とは、645年に中大兄皇子、中臣鎌足ら複数の宮中関係者により、大臣として当時の政権で権力をふるっていた蘇我入鹿を宮中で暗殺し、入鹿の父親の蘇我蝦夷を自害に追いこんだ政変のことをいいます。この乙巳の変により一部の蘇我一族は残ったものの蘇我宗家は滅亡し、一族は衰退の一途をたどり結果的には蘇我一族は滅んでしまいます。そして、乙巳の変が起こるまで権力をふるっていた蘇我氏に代わり朝廷の実権を握った中大兄皇子は皇太子となり、内臣(うちつおみ/ないしん)となった中臣鎌足とともに孝徳天皇のもとで豪族の田荘(たどころ)、部曲(かきべ)を廃止して公地公民制への移行を目指す改新の詔を発布(646年)します。この646年に発布された改新の詔がもとになる『公地公民』や『班田収受の法』、『租・庸・調などの税制』など一連の政治制度改革のことを大化の改新といいます。1985年以前に生まれた方は、645年の乙巳の変を大化の改新と歴史の授業で習いましたが、歴史は考古学調査などで新たな発見があれば、内容も変わっていきます。1985年以前に生まれた方は大化の改新をそのまま乙巳の変に置換えてください。なお乙巳の変の読み方は『いっしのへん』の他、『いつしのへん』『おっしのへん』とも読まれたりします。これらはどれも間違いではなく、学者や書物によって言い方が違うだけであり統一されていないだけです。