世界遺産一覧

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 日本の世界遺産

九州・山口を中心とした8地域、23資産から成る明治日本の産業革命遺産は世界遺産リストに「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という名前で登録されています。資産構成は①萩反射炉②恵美須ヶ鼻造船所跡③大板山たたら製鉄遺跡④萩城下町⑤松下村塾⑥旧集成館⑦寺山炭窯跡⑧関吉の疎水溝⑨韮山反射炉⑩橋野鉄鉱山⑪三重津海軍所跡⑫小菅修船場跡⑬旧グラバー住宅⑭高島炭坑⑮三角西港⑯三菱長崎造船所第三船渠⑰三菱長崎造船所ジャイアントカンチレバークレーン⑱三菱長崎造船所旧木型場⑲三菱長崎造船所占勝閣⑳端島炭坑㉑三池炭鉱・三池港㉒官営八幡製鉄所㉓遠賀川水源地ポンプ室になります。

石見銀山遺跡とその文化的景観 日本の世界遺産

石見銀山(いわみぎんざん)は世界遺産リストに「石見銀山遺跡とその文化的景観」という名前で登録されています。ここでは岩見銀山が世界遺産登録された背景・理由、遺産価値、歴史、構成資産(銀山柵内、代官所跡、矢滝城跡、矢筈城跡、石見城跡、大森・銀山、宮ノ前、熊谷家住宅、羅漢寺五百羅漢、石見銀山街道鞆ヶ浦道、石見銀山街道温泉津・沖泊道、鞆ヶ浦、沖泊、温泉津)についてお伝えします。

姫路城 日本の世界遺産

姫路城は世界遺産リストに「姫路城」という名前で登録されています。その真白な壁面、均整の取れた形状といった外観の美的完成度が非常に高く評価されています。現存する日本の城建築の中で最大規模で、城の顔ともいえる天守の大きさでは日本に現存する12個の天守の中で最大です。現在の形になったのは1600年に城主となった池田輝政による大改修の後です。

紀伊山地の霊場と参詣道 日本の世界遺産

紀伊山地は世界遺産リストに「紀伊山地の霊場と参詣道」という名前で登録されています。紀伊山地の文化的景観を形づくる遺跡群は、神道と仏教が融合した独特の景観を持っています。これは紀伊山地の深い山々に残る自然と数々の寺院、神社などから見て取れます。紀伊山地の神社と寺院、そしてそれらに関連する儀式は日本の1000年以上の宗教文化の発展を証明する特別なものです。紀伊山地の霊場と参詣道の遺産価値は「自然と宗教が融合した独特な景観」です。

法隆寺地域の仏教建造物群 日本の世界遺産

法隆寺は推古天皇と聖徳太子により607年に建立された斑鳩寺を起源としたお寺で、世界遺産リストに「法隆寺地域の仏教建造物群」という名前で登録されています。法隆寺地域の仏教建造物群の遺産価値は「世界最古の仏教の木造建造物であること」です。法隆寺にはその後の建築様式には見られない独特な特徴が見られます。これは飛鳥時代の特徴、ひいては伝来元である中国の北魏時代の特徴でもあります。特にエンタシスの柱、雲形組物の2つは有名です。また2つの貴重な古代の建築様式が見られるだけでなく、その建築様式がどのように変わってきたのか、その様子を見ることもできます。法隆寺地域の仏教建造物群の構成資産は大きく法隆寺と法起寺に分けられ、法隆寺は大きく西院、東院に分けられており、古いものでは7世紀、新しいものでは18世紀に及ぶまで1000年以上にわたって建造された仏教建築物が並んでいます。法起寺は聖徳太子の遺言に従い、聖徳太子の子・山背大兄王によって建てられました。法起寺は1500年代末(16世紀末)に三重塔以外が焼失してしまいます。その後、17世紀以降に講堂などが再建され、現在の形になりました。そのため、創建当時の姿を残すのは三重塔のみとなっています。

古都奈良の文化財 日本の世界遺産

奈良は世界遺産リストに「古都奈良の文化財」という名前で登録されています。世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。奈良の寺院の多くは8世紀に中国や朝鮮から伝えられた建築技術をもとに日本で発展したものです。これらは中国大陸・朝鮮半島と日本の技術・文化の交流があったことを示しています。また、構成資産には奈良時代の「和様」の建築文化に加え、「大仏様」なる新たな建築文化も見られ、日本建築の発展の様子が見て取れます。古都奈良の構成資産は古代の都の様子を現代に伝える非常に珍しい資産です。とりわけ平城宮跡は平安京より古いものであるにもかかわらず、都市開発の影響を受けなかったため保存状態が良く、この時代の文化を示す重要かつ貴重な証拠となっています。また、木簡などの文学的な遺物なども発見されており、考古学的価値も高い資産です。また構成資産は古代の建築や都市設計をよく示しています。また平城京のあった710~784年頃の建築物は中国や朝鮮にも残っておらず、日本だけでなく初期アジアの建築様式、都市設計を表す証拠として極めて珍しいものとなっています。さらに日本の神道、仏教といった宗教と密接に結びついています。特に春日大社とその神域である春日山原始林との関係は、自然を神格化しようとする日本独自の神道思想をよく表しています。また、奈良では宗教儀式や行事が現在でも多く残っており、文化として根付いています。これらにより古都奈良の文化財は登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵを満たし、世界遺産リストに登録されました。

古都京都の文化財 日本の世界遺産

京都は世界遺産リストに「古都京都の文化財」という名前で登録されています。古都京都の文化財の遺産価値は「17件の構成資産(賀茂別雷神社(賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺(東寺)、清水寺、延暦寺(比叡山延暦寺)、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺(苔寺)、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、本願寺(西本願寺)、 二条城)が日本文化の歴史をよく伝えていること」です。京都には794年平安京遷都から1867年大政奉還までの1000年以上もの間、日本の首都であり続けたという歴史があります。日本では時代の変遷に伴い様々な文化が生まれてきましたが、首都である京都はその文化の創出・発展に大きな役割を果たしてきました。それを示すように京都には各文化の特徴を反映した木造建築、宗教建築、庭園などが数多く存在します。これらの建造物はその歴史と発展過程をよく表しています。また日本の建造物は壊れやすい木造建築が主体ですが、その保存状態の良さも高く評価されています。建造物自体は天災や戦乱などにより焼失してしまったものもありますが、伽藍配置などは当時の様子を再現して復興してあり、各時代における建築様式や庭園様式といった日本文化の特徴を現代によく伝えています。

白川郷・五箇山の合掌造り集落 日本の世界遺産

白川郷・五箇山の合掌造り集落の遺産価値は「山間部の環境に適応した独特で合理的な集落であること」です。山間部の環境というのは、雪や雨が多いこと、農地が少ないことなどが挙げられます。こういった環境に適応した合理的な形が合掌造り集落です。農地が少なく、厳しい自然環境だったことにより、火薬の原料となる塩硝の生産、和紙漉き、養蚕などの家内工業が発達しました。結果として、合掌造りは(1) 大家族が暮らし、家内工業を行うために他の地方の農家に比べて規模が大きい(2) 雪はけ、水はけの良い45~60°程の急勾配の傾斜を持つ茅葺き屋根(3) 屋根裏スペース確保のための叉首構造の切妻造り屋根、のような特徴を持つことになります。

富士山 信仰の対象と芸術の源泉 日本の世界遺産

日本の世界遺産観光地である富士山の遺産価値は「日本という国・文化の象徴となっていること」です。富士山はその均整の取れた美しい形状と噴火の恐ろしさから、人々に畏敬されてきました。その畏敬は日本古来の山岳信仰と結びつくことで、富士山=浅間大神という形で人々に浸透し、様々な形で信仰の対象になりました。この富士山信仰は紀元前から現在まで続く日本独特の文化です。人々に恐れられていた富士山ですが、その美しさは芸術・文学作品の対象として人々を魅了してもいます。万葉集にも作品が載っていることから、いかに古くから富士山が芸術の源泉となってきたかが伺えます。19世紀に描かれた浮世絵は日本だけでなく海外の画家にも衝撃を与え西洋美術にまで影響を及ぼしました

富岡製糸場と絹産業遺跡群 日本の世界遺産

富岡製糸場と絹産業遺跡群の遺産価値は「生糸産業の技術革新の歴史を今に伝えていること」です。19世紀末から20世紀にかけての日本の生糸産業の発展は近代社会の中での大きな成功例と言えるでしょう。それまで生産量の限られていた生糸の大量生産を可能にし、日本の生糸の生産量・輸出量は世界一となりました。その後も生産量を伸ばしつつ、粗悪品が多かった日本の生糸の品質を世界最高級の品質にまで高めました。こうして生糸産業の技術革新は日本近代化の礎となりました。富岡製糸場と絹産業遺跡群はこうした生糸の良質化・大量生産化を可能にした技術革新の中心となった建造物群です。構成資産は富岡製糸場、田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)、高山社跡(たかやましゃあと)、荒船風穴(あらふねふうけつ)の4つです。